だんだん分からなくなってきた。
今の自分の考え方が、行動が、スタンスが。
分からなってきたというか、合わなくなってきたといったほうがいいかも。
自分の状況も、周りも、周りからの目も、変わったから。
自分のスタンス。
就活時に固めたスタンス。
バイトや就活、インターン、家族…
そんな今まで出会った人から影響を受けて固めたスタンスが、揺らぎ始めている。
今までのスタンスで、このまま歩んでいくのは厳しいと思う。
入社して一年。
時期として、振り返るいい機会なのかも知れない。
ここに来てよく考えて、次へのスタンスを固めたい。
今はそんな時期だろう。
今まで大切にしてきたスタンスは何だったのだろうか。
大きくは3つある。
1つは「ものづくりで死にたい」ということ。
別に過激なことを言いたいわけじゃなくて、自分の生きる道としてこう決めているだけ。
これは今も覆らないし、覆したくない。
自分の尊敬する自分の祖父は、実際に鉄工所でものづくりをしていたけど、その生き方を自分も歩みたいと思っている。
だからといって、ものづくりを「物理的なもの」に限っているわけじゃないし、言い換えれば新たに何かを生み出すことに命を懸けたいわけ。そんなバカ正直で頑固者に、誰がなんといおうとなりたいわけ。
2つ目は「経験は自信となり、実力となる」ということ。
これは就活時代にサーバーエージェントの藤田社長が講演で話してた言葉だ。
何よりも「経験」こそが重要ということだ。
経験がなくて実力を付けるなんてありえない。
まずは経験。暇なら、自分で自分を忙しくしてみる。
これがこの言葉の意味。
言い換えると「量は質に昇華する」といえると思う。
もちろん何も考えずにこれをやると無駄なんだろうけど、一番質を向上させたかったら数を積むことが一番大事。
最初は無駄なことをいっぱいする。それを数多くこなすことによって、自分の本物の実力となると思う。
それが原動力となって、インターンも8ヶ月もしたし、今もどんな分野も吸収したいから、どんな仕事も受ける。しんどくても受ける。そんなスタンスだった。
おそらく、この考え方は変えたほうがいいのかなと思う。この言葉が悪いわけじゃないので、捉え方を変えたほうがいいということ。
この言葉の「経験」とは何をさすか。これを見直してみる必要がある。
3つ目は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」ということ。
リクルートの前の社訓となっていた言葉。2つ目の言葉とかぶってるかもしれないけど、これこそが成長に繋がると思う。
そして、成長する過程を一言で言い表した言葉だと思う。
これも、この言葉の「機会」とは何をさすか。これを考え直してみないといけないと思う。
3つの自分のスタンスを振り返ってみて、1つ気づいたことがある。
まずは、「経験」や「機会」の捉え方が甘かったということ。
まあ最初は分からないのでしょうがない。「経験」や「機会」の種類なんて考えもしなかった。
たぶんそれはその「経験」や「機会」すらなかった過去があるからだと思う。
その時期に認識した「経験」や「機会」というのは、今としては当てはまらなくなっている。
それを再認識する必要がある。
たぶん最初は「作業」というか、何か「形に残るもの」にこだわっていたんだと思う。
それこそが、「経験」として把握しやすいし、「機会」としても分かりやすい。やっている感もあるし。
極端な例を挙げれば、何かの資料を作る必要があって、それを頑張って作って安心するパターン。
本当の目的は相手に内容を伝えることなのに、その「資料」に注いでしまうパターンだ。
結果として、それが相手に伝わる資料になっていたとしても、その「相手に伝える目的としての行動」としてやっていたことが必ずしも合っていないことになる。その場合、その「経験」や「機会」というのは、完全に「実力」へと昇華されずに、得るものが少ない。
おそらくこれが今の状況なんだと思う。
たぶんこのままいくと、一定のレベルで実力の向上はなくなり、評価としては必然的に下がっていくだろう。そうなるとおもんなくなりだす。これが一番怖い。
この状況で、「自分はめっちゃやってんで!」と言えるとしたら今だけで、やがてこんな意地を張ってもしょうがないレベルになる。
そうなると、「作業効率悪いで」といわれて終了になる。つまりどんなに頑張ってやっても報われない時期がくる。
それって何が原因なのっていうと、「どんな分野も吸収したいから、どんな仕事も受ける」というスタンスであって、下手をするとこれでは自分の仕事は「誰かの下請け」になってしまう。これでは負けだと思う。と最近気づいた。
自分の会社の方針として、下請けはしないというのがあるが、これを自分がしててどうすんねん。そりゃ社会に色々な役割があって、それがどんなチームにも存在するけど、あえて、喜んで、受ける必要は一切ない。それはみんなが平等にやったらいいわけ。それに、今の状態になれて、それが当たり前となるのは怖い。
つまり、自分のやるべき仕事以外で、仕事レベルとして「時間をかければ出来ること」を、自分の「経験」とか、何かを得るための「機会」と認識するのは間違っている。得るものは「実力」ではなく、頼みやすい人という認識だけ。それがプラスかマイナスかは「自分の幸せ観」次第だけど、それが今は変化してきたんだとおもう。
これはえらそうなことをいってるわけじゃなくて、一年目は一年目として、二年目は二年目としての仕事の直契約の方法があるということ。そういう意味で、もっと仕事にプライドを持ったほうがいい。そして、俺の仕事は単価高いよっていえるぐらいがちょうどいいんだろう。
仕事って、「楽しい」かもしれないけど「楽」ではない。しかも、楽しめるレベルに達するまでには「苦労」が確実に伴う。そりゃそうだろうと思ってる。だから甘えてぶーぶー言いたいわけじゃない。でも、自分がどれだけやって、それがどのように認識されるのかは、今後のモチベーションに繋がる。そのモチベーションは、自分だけでなく、周りのモチベーションにも影響してくる。その悪影響になるのが一番いかんのだろうなと思う。
この一年で色々なことを感じるけど、このスタンスをどうあるべきかはずっと考える必要があるんだとうと思う。その時々に応じて。
ただ見えてきたことは、社会人ってくくりはカテゴライズされているようでされてなくて、いろんな人がいるってこと。当たり前だけど、それが認識レベルで分かってきた。
もちろんだけど、自分と同じスタンスではないわけで、それぞれのスタンスをもっている。それは当たり前なんだけど、スタンスによって損をする形はなくしたい。そういう意味で、下請けして「仕事してますよ」みたいな自負も持ちたくないわけ。
とりあえず言いたいことは、今までのスタンスは現実的ではなくなってきたということ。
それは1年目として自分の中で一番のスタンスであって、これからは変えていくべき。そう思ったことだ。
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