2021を創造するの最近のブログ記事
2021年9月 2日
[2472] コロナ禍スタンダード
こんばんは。マス風です。
最近思うことがあるので記録。
今までの感染病の常識がある意味変化しているような気がする。
その常識を正確に知っているわけではないが、
変異し続けるウイルスは、
まさに最初からこのようになることを組み込まれているようにも感じる。
そのウイルスは変異をし続け、ワクチンで対応しながらも、変異することで効きにくくなり、
感染の連鎖は止まらない。
そこでまた変異の機会を生むことになる。
感染した人が全て死ぬような強いものではなく、
その部分で非常にバランスの取れたウイルス。
インフルエンザに変わって、
もっとスケールの大きい感染の波が続くのではと思えてしまう。
となると一時的に思えてきた自粛などは、
これからのスタンダードになる可能性が高い。
外出が犯罪になるような世の中にはならないと思うが、
かなり動きは制約される。
ワクチンは3ヶ月か半年ペースで打つことになる。
しかしそのワクチンでは重症化を抑えるだけて、
感染は防げない。
日常的な感染対策はスタンダードとなる。
大規模な飲み会はできなくなる。
今まで以上に宅配事業は増える。
スタンダードに、より簡単になる。
オンラインでなんでも出来る。
官民で立ち上げるデジタル庁は社会を変える。
テレワークが基本となりリアルなコミュニケーションが減る。
リアルコミュニケーションがスポーツとなる。
アウトドアがより流行る。
今何をすべきか。考えるべきか。
2021年1月14日
[2470] パラダイムシフト No.6 ~コロナ禍中の世の中~
【(参考)過去に書いたパラダイムシフト記事】
パラダイムシフト No.1 ~物流革命~
パラダイムシフト No.2 ~スマートグリッド~
パラダイムシフト No.3 ~1人1グローバルIP時代~
パラダイムシフト No.4 ~物流革命その2~
パラダイムシフト No.5 ~ITコモディティ時代の社会革命~
どうも、マスカゼです。
9年ぶりのパラダイムシフトシリーズ記事。
過去の記事を見返すと、自分で書いたのを驚くほど、
今の時代で求められていることだなと思います。
物流革命の2つ目の記事は、今でいうとUBER EATSだなと感じます。
この記事を書いて3年後に、アメリカのサンフランシスコでUBER EATSは誕生します。
人間の想像できることは実現できることとは言いますが、
想像は誰でもできます。実現できることが大事なのだと振り返ると思います。
今でいうとTikTokも過去に想像していましたが、まさかこのような形になるとは思いませんでした。
それだけ、未来に出来上がるサービスというものは今ではある程度、外枠は想像できるものの、
詳細な部分は、オリジナルに作り上げていくものなのだなと思います。
言い方は変化もしれませんが、今の自分の頭で作り上げるというよりも、
次世代の人たちと一緒に作っていかないと実現できない。それがTikTokなんだろうと思います。
さて、脱線しましたが、2021年になり、この2021年をどう過ごすかを考えることが多くなっています。
昨年からのコロナ禍。危機である。
今年は落ち着く気配もなく、まだまだ危機のさなかである。
今年はパラダイムシフトが必ず起きる。
2021年はすでに時代が変わったのだと思っています。
2020年と2021年は、戦前と前後と同じぐらいの変化のある年になる、過去の歴史から考えてもそう確信しています。
我々が今、どのような状態にあるか、
テレワークと言って世の中はテレビ会議などをしているが、それはもう2020年以前にもあったやり方である。
ZOOMが流行っているが、新しいコミュニケーション手段であるが、それがシームレスかどうかといればそうではないように感じる。
それを無理やり新しい時代で使っているだけのような。
つまりは、何が言いたいのかというと、
この2021年に何かとてつもなく新しいサービスが出てくるということである。
以前から歴史は動いていたが、ここで一気に加速することもあると思う。
・小売革命、物流革命
これは2,3年前からアメリカで一般的になってきたが、
つまりは、ネットで注文してお店で受け取るサービスである。
テレビの新しいハンバーガー屋さんが、レジのない店舗で運営していたが、
つまりはネットで注文から決済はすべては完結していて、あとはUBERで配達するか、取りに行くかのどちらかという時代になっている。
これはもうすでに実現化していて、少し前にも各飲食店のアプリとかではお持ち帰りをアプリで注文しておいて後は受け取るだけという、
スシローなどが展開しているサービスもこれにあたると思う。これはやっと時代が追い付いてきたという感覚。
なので、パラダイムシフトとはこれは言えないかもしれないが、スシローアプリのようなことができる仕組みを、
例えば食べログアプリのようなプラットフォームで実現できる時代が来るのも近いと思う。
・テレワーク
テレワークという言葉自体がすごく古い言葉のように感じながら受け止めているが、
自分が個人事業をしていたときは、ノマドという言葉が流行っていて、
その当時、確か2012年ぐらいのときは、わざわざスーツケースを用意して、
そこに資料などを入れてカフェとかレンタルオフィスで仕事をしていたものである。
ノマドについては調べてみると遊牧民という言葉だという。
しかしながら、会社組織に入ってのテレワークは、個人技をしているときはノマドとして振る舞えばよいが、
団体になると今の仕組みだと非常に弱いと思う。
2020年に非常に流行ったZOOMはただのテレビ会議の仕組みだし、使いこなしたとしてもできることは限られる。
今の答えはマイクロソフトのTeamsで、まだ組織として使いこなせてないが、
これがもしそのまま使えたら、これを使う世の中が、ただ追い付いてきたのかと思う。
ただ、ここのテーマとしては、自分だけが使いこなせてもだめで、
組織の誰もが使いこなせるツールというのが必要になってくる。
このパラダイムシフトは今年必ずくる。その答えが今あるTeamsに組織で追いついていくだけなのか、
またもや完全なる新しい仕組みが出来てくるのかである。
テーマはだれ一人も置いてきぼりにならない組織ツールである。
GAFAが実現するのか、マイクロソフトが実現するのか、LINEが実現するのか、だれが実現するのか。
・趣味の話
最近は本当にYoutubeとかInstagramとかTikTokとか個人で発信するコンテンツの、レパートリーが増えたと思う。
僕らが、2005年に始めた当初はブログが最先端であった気がする。
既に、動画が主流になっている世の中。
ここ最近の流れは、テキスト→画像→動画という流れである。
別角度の音声というのも以前から実現されている。
アウトプットを前提としたインプットが高度化してきており、
よりビジュアルにこだわったアウトプットが求められてくる。
それはコンテンツがこだわってくるのは見栄えなのか。
すぐに思いつくことは誰もが実現できてしまうことでまさしくコモディティ。
これから武器になるのは相当とがったものを持っているかどうか。そして武器の組み合わせである。
・仕事の内容の話
テレワークの話は上でしたが、自分の仕事の中身を変えることができないか。
目的は一つであって、それにたどり着く道はいろいろあるはずで、
あくまで営業だからと言って足を運んでというのは短絡的で、
足を運ぶからには足を運ばないとできないことをするべきで、
本来の目的が何なのかを考えて、その目的にどのようなアプローチが良いのかを一から練り直すべきである。
大半はオンラインのほうがよいはずで、低コストで抑えられる。
そのようなプラットフォームは現在存在するのだろうか。
現在であれば、日本であればLINEは誰でも使っているツールで、
個人であればLINEの交換でコミュニケーションが取れる。しかし、ビジネスにおいてはそれは違う。
個人はLINEでつながっているように、仕事でのプラットフォームが何かあると、
非常に仕事が進めやすい。
これの実現には1つの壁と、2つの道があると思う。
まず壁は労務管理の問題である。
いつでも仕事できる環境になるということは労務管理できない可能性がある。この壁をどのようにクリアするか。
そして実現の仕方は大きく2つ。
ハードから会社が用意するか、ハードは個人のものでソフトだけ会社が用意するか。
本来であれば、個人のハードで、ソフトだけ会社で用意したほうが現代的だが、現実問題そのような普及はしないような気がする。
これは全国の小学生が一人一つパソコンを持っていない問題と似ていて、少なからずガラケーの人もいる。
そうすると、その一人を置いて仕組み化するようなことはしない。
であれば、会社支給の端末で実現することになる。
これは全国の小学生が全員にタブレットをと提唱してるようなことにも近い。
とにかく、パラダイムシフトNo.3に書いたように、
一人ひとりがグローバルIPアドレスをもつ感覚。
これがいよいよ現実化されるのだろうと思う。
これは個人主導か、会社主導か、国主導かわからないが、、
パラダイムシフトというものは国主導ではないと思うので、
やはり何らかのサービスということになるのであろうと思う。
とにかく、この身動きとりにくい世の中を変えたい。
続く...
[2469] どの分野が自分にとって重要なのか
どうも、マスカゼです。
今年は5,6年ぶりにブログで文章を書くということが習慣化されるかもしれません。
理由は新しいパソコンを手にしたというのもありますが、
今年はかなりのインプットが多くなる年になるからです。
前回書いた記事で、落合陽一のテレビを見てから、
落合陽一自体に興味を持ち、落合陽一の本を読み始めた。
「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書」という、
めちゃくちゃ長いタイトルの本である。
まだ半分ぐらいしか読んでいないが、この人は何個もの先のステージにいて、
いうなら未来にいて、過去の自分たちに助言してくれているようであった。
それだけ、今の時代が古く感じたし、自分の考え方も古く感じた。
同時に共感する部分がたくさんあり、その一つに、
「どの分野が自分にとっては重要で、何を意識していく必要があるのかを、常に言えるようにしていくことです」という一文である。
これは今、IoTやAIの技術がどんどん進む中、世の中の人材のコモディティ化が深刻になる中で、
いかに差別化していくかのヒントである。
同時に「誰かの真似でない、オリジナルを目指すには、今、この世界にない能力の組み合わせを目指していくべきでしょう」とも言っている。
つまりは、自分にとっての意識の向け方を常に持って置き、それは一つではなく複数であることがオンリーワンであるということである。
一言で言ってしまえば、得意分野を一つだけでなく二つ以上もっておき、常にそれはブラッシュアップされるべきということである。
自分にとって、どの分野が重要なのか、武器なのか、二つ以上あるのか。
優れてなくてもよいので、こだわりとして持っておきたい。
あえて、自分のことをここで書くなら、
一つは、文章。
一つは、着眼点。
だと思う。
2005年からブログを書き続けて2年で700記事書いた。
2007年からブログを移行して4年で1370記事書いた。
6年間習慣としてブログで文章を書いて2000記事書いた。
遊びで上げている記事もあるか平均すると6年間毎日ブログを書いていたことになる。
そして自分のブログでこだわったのは本来の文章ではできない装飾をしないことである。
例えば、絵文字や顔文字、文字を大きくしたり、太字にしたりするのは、
正式な場面では使えない表現である。
当初のブログでは顔文字も使っていたが、、
2005年4月16日の記事、今気づいたんだがで、
文字だけの表現で人に伝えることを始める。
それから、ほぼテキストだけで人に伝えるための練習をしてきた。
ブログはタイトルを何にするかも重要であるし、
初めの文章も大事になる。ニュースでいうとリードの部分である。締めくくりもしっかりしてないと面白くない。
それが功を奏してかわからないが、
今、メールにしても何にしても、文章を評価されることが多くなってきた。
さらに、考えてみると、最初に経験したシステムエンジニアという仕事ではプログラミングを行っていた。
プログラミングは文章の練習にもなるといわれるように、今の文章力への完全に活きている。
20代から振り返ると6年間、ほぼ毎日記事を書いてきた経験と、プログラミングでのロジックがマッチしているのだと思う。
ただ、自分の中では常に、語彙力もなければ、表現の幅も少ないと感じる。
しかし、自分の武器として考えたときに、このことはしっかりと自分の中に置いておきたい。
そして、さらにレベルアップするためには、アンテナを張り続けること。
久しぶりに本を読んでいるが、常にいい文章に振れていくというのが私にとって必要な栄養源なんだと認識しておきたい。
そして着眼点。
これについても、ブログが大きな効果があったかと思う。
当初どこかで記事を書いた記憶があるが、ブログを自分に課すとネタを探してインプットが必要になる。
ブログのために生きているわけではないが、ネタがなければ記事は書けない。
どんどん新しいことを見て、読んで、そこから何が言えるかという着眼点を磨いていったのだと思う。
つまりは、今までにない着眼点を見つけ、それを文章として実現できるというのが自分にとっても武器である重要な分野であるのだ。
幸いなことにデザインも少しかじったので、アウトプットに関してはデザイン的な見方もできる。
もちろんこれらのことについては、すぐに廃れてしまうので、
常にアンテナを張りながら、自分の武器をブラッシュアップしていきたいと思う。