2014年9月アーカイブ
2014年9月18日
[2434] 俯瞰
かれこれ、10年かかりましたでしょうか。
完全にブログを書くという習慣がなくなったのは。
これはよい意味でも悪い意味でも捉えることができます。
よい意味としては、
自分はある意味ブログに頼っていました。
それを抜け出せたとでも言っておきます。
当時は、ネット時代の存在意義とでもいうんでしょうか。
今は多くの人がFacebookで同じような状態に陥っているかと思いますが、
コメントやらアクセスによって自分の価値を判定してしまうということです。
Facebook時代でいえば、いいねの数がそれに当てはまるかもしれません。
私生活がまるでネタ作りのようになってしまいます。
「あ、これはネタになりそうだからこうしよう」
「アップするために写真撮っておこう」
すべてがシェアする前提で行動してしまいます。
これは現代人の病気だと思いますが、行動のモチベーションがぜんぜん違うんですよね。
自分がそこで心底楽しむという視点ではない。
結局は、アクセスされたところで、いいねされたところで、
その価値というのはいかがなものか、自分自身で考える人は少ないように思います。
そういう意味で、時間はかかりましたが、そこから解脱できたのは、よかったと思います。
当時はある意味、自信がないから、ブログをしていたんだと思います。
私はここで生きているっていいたかったんだと思います。
そして、ブログをする習慣がなくなって悪いこともでてきます。
悪いって表現するとちょっと違うかもしれませんが、
それは自分の思考を記録する手段がなくなったということです。
Facebookでこうやって、自分のいいたいことをつらつら書くのはいかがなものと思いますし、
Twitterでは限界があります。
自分のいいたいことを永遠にかけるのがブログ。
当時は、自分が考えたことをこうやって長文でよく書いていたものです。
不思議なもので、書くことで頭が整理されてきて、論理付けられるものです。
これはまさに「明文化」なわけで、
自分のもやもやしたことをはっきりとさせてくれたものです。
それが今はないのですから、ある意味本能的に生きているともいえます。
そういう過去があり、ブログを書くことを忘れた今があります。
昔とはかなり変わったと自分自身で思います。
前よりもだらしなくなりました。
前よりも人間らしくなりました。
表現は悪いですが、サボる自分を許せるようになりました。
これも自分なんだと思えるようになりました。
明文化していくと、やはり文章として残るわけですから、
どうしても理想論になります。
そうすると無理が出てくるんですよね。
この、期間で学んだことはたくさんあるように思います。
特に人間が動物なんだとわかったことが多きな収穫だと思います。
1+1が2にならない。
これが人間。
気持ちがあるのが人間なんですよね。
自分が30歳になりましたが、
これからはもっと本能的に動いていきます。
もちろん、もう大人なので、割り切るということも覚えてきました。
若いときは世の中で許せないことがあると、変えてやろうとも思いましたが、
もうそんなことは思いません。
それは動物が作った世の中だから、そういうことがあって当然。
世の中は不公平の塊であって、弱肉強食の世界。これが当たり前です。
それに新しい考え方である自由や権利というものを考えすぎたために、
いろいろなことに不満が生じてきます。
自分がどうかを考えず、人と比べて、価値を決める社会、非常に不幸なことです。
割り切るということばはあまり好きではないですが、
この言葉に置き換わる言葉がありません。
理想は人間が動物である限り完成されません。
どこかのテレビ番組で討論されていることも、政党のマニフェストも、身近な人と人とのかかわりも。
理想が実現する社会は、ロボットが形成する社会でしょう。
おそらく生きていてつまらないに違いありません。
人生消化試合。そんなテンションでしょう。
この期間を経て、中身の重要性を考えるようになりました。
単に、一日を過ごすにしてもどうすごすか。
それが人に評価されるかどうかはどうでもよい話しです。
だからシェアを前提としていません。
たとえば休日のすごし方として、ネタになるから、話題のここに行く、という思考回路ではなく、
自分のどこの部分に腑に落ちるから、ここに行く、というニュアンスです。
そう、腑に落ちるということばがイメージしやすいです。
仕事もプライベートでも関係ないです。
最適化されることは人間が動物である限り永遠にないのだから、
どこで腑に落とすかが重要となってきます。
これはあきらめではないことが注意で、やれるだけのことはやるのは前提です。
それがどう結果として反映されるかってのは期待しないってことです。
生きるのではなく、生かされてるのです。
そこを謙虚に生きよう。
ちょっと無理しすぎじゃありませんかって思うのです。