常滑の文化の最近のブログ記事
2015年4月21日
[2440] 常滑 春の山車祭り2015
こんばんは、ますかぜです。
変化のあった仕事のペースも少しずつ自分のものにしてきた感があり、
従来よりは帰宅時間は遅くなったものの、
よい方向へとシフトしたかなというここ最近です。
そのシフトの一員になったともいえるかもしれないのが、
先週末に行われた常滑の山車祭りです。
思い出すことができないくらい幼少の頃、
確か祖母に連れてもらって見た以来。
初めてといっていいかもしれないです。
今回、山車祭りをしっかり見ましたが、
正直感動してしまいました。
京都では祇園祭を何回か見ました。
祇園祭、それは大変すばらしいものです。
しかし、今回は、
常滑の、ここの住民になって、
そしてこの地域の字の半纏を近所の方からいただき、
それを子どもに着させて、
その地域の住人として参加しました。
参加といっても、まだまだ一部を見ているだけですが、
観光とは違った角度でのお祭り。
自分が感じたものは本当に意外でした。
それは常滑に対する意外。
日本に対する意外。
失礼な話、常滑にこんなすばらしいお祭りがあるとは知りませんでした。
同じ常滑に生まれて、このお祭りに参加したことはありません。
地域のお祭りは地域のものなので、違う地域に生まれた私にしては、それは当たり前なんですが、
ほんの自転車で10分20分行けばこういったお祭りに触れ合えたと思うと、なんだかもったいなく感じました。
日本に対する意外という意味は、
日本もまだまだ捨てたもんじゃないってことです。
大げさな表現ですが、
なんだか今まで感じていた漠然とした日本が持つ将来の不安感。少子化とか高齢化とか。
そんなものを吹っ飛ばすような、なんというか昔ながらの日本の姿がありました。
なんというか、えっ?探していたものがこんなに足元にあったの?って感じです。
ちょっと話が飛躍しちゃいましたが、それだけ衝撃的でした。
最近感じていること、していることは、
今あるものを見つめて見ることです。
新しいものを作ることも大切だし、なくしてはいかんと思うわけなんですが、
今あることの価値をフェアに見ることも大切やなと、そう感じています。
この山車祭りもまさにこの例。
あんまり欲張らずに、年長者を敬って、
謙虚に生きていると意外にいろいろな価値を感じます。
話は変わりますが、祭りで中学校の友人にばったり出会いました。
山車の重要な役割をしているようで、
子どもをつれて住人になったことを話すことができ、うれしい再会でした。
こうやって、マイペースな常滑生活は続きます。
そろそろ海行きたいな~