日常描写の最近のブログ記事

2022年5月 6日

[2482] 能動的に能動的に

真剣10代しゃべり場、リターンズを見た。

ほんの、一部だが。

調べてみると2000年から放送がスタートしている。

2000年と言うと、16歳か。

実家のテレビで見ていた記憶がある。

高校2年、迷っていた時代である。

自分の意見を、十代が、その名の通り、喋る。

1人の主人公がいて、主張する。

それに対して、色々な角度から喋る。

討論とは言えないこともあるかもしれないが、

理想的な討論の姿勢だと思う。

普通なら、意見が出なくて、

番組にならないのでは。

それだけ、自分達が自分の意見を持たずに生きているのだと思う。

それを取り戻したい。

そうか。

自分が取り戻したいと思っているだけではなくて、

みんなが取り戻せばいいのではないか。

Twitterが規制強化したことによる、

イーロンマスクの買収の話とは真逆の話になるが、

そもそもの自分の意見を言う。

これを能動的にやっていく必要がある。

少なくともそう言った社会に。

2022年4月24日

[2481] 中禅寺にて神仏習合を知る

日光を見ずして結構と言うなかれ。

結構にも程があるほど結構だった。

言葉で説明するのは控える内容であった。

完全なる割愛をする。

案の定、帰りたくなくなり、

東照宮近くの宿を確保する。

翌日はもう一つの目的地であった中禅寺へ。

宿まで30分は歩いた。

昨日は22,000歩を歩いた。

起きたら6時、いつもよりも早い休みの朝。

バスの時刻表には、6時37分発があった。

ちなみにその次は8時代だった。

青春18きっぷを乗り継いで東日本を巡った20歳ごろを思い出しながら、

早めに宿を経った。

中禅寺温泉バス停に着いたのは7時15分。

中禅寺まで徒歩20分ほどなので歩くことにした。

めちゃくちゃ寒かった。

昨日は半袖で過ごした日光。

薄いカーディガン羽織るだけでは間に合わない。

そして20分ほど、中禅寺湖のほとりで佇まいながら時を待った。

そして、中禅寺へ8時一番乗りした。

写経を納め、

十一面千手観世音菩薩を拝み、

不動明王に家内安全を祈った。

境内にある説明を読むと、

もともと、この観音様はここにはなく、

1902年の土砂崩れによる津波により、

元々あった場所からこの地に流れ着いたというのである。

そして元々あった地とは、二荒山神社中宮祠である。

中禅寺から徒歩15分ほどだったので、

また凍えながら歩く。

そして二荒山神社中宮祠で参拝し、

男体山信仰を目の前にする。

そして、神社に来たとなれば御朱印をいただくために、

伊勢神宮で手に入れてからの御朱印帳にお願いする。

お願いしてから、なんかすごく違和感が押し寄せてくる。

ここは、寺ではないよな。

さっきまで中禅寺にいた、

本尊の十一面千手観世音菩薩が元々この地にあった。

来てみると神社であった。

昨日の東照宮も、お寺の要素がふんだんにあり、

混乱しているところだった。

調べてみると、神仏習合の時代、

以前は神社とお寺が分かれてなかった。

だから東照宮の中にある鳥居に蓮の絵が描かれてあったり、

神社の中に寺があったり、

神社といいながら、お寺の作りだったり。

一応、御朱印帳は神社のものに統一していたので、

意識をしていただけに混乱が深まった。

神仏習合を体感したのであった。

2022年4月21日

[2479] 暖簾に腕押し

久しぶりに魚を捌いた。

こっちの方ではいなだというらしい。

西日本でははまちである。

刺身と、鰤しゃぶとしていただいた。

そして髪を切った。

美容院というのはホームのような場所だと思う。

定期的にメンテナンスしていく場所。

しかしその場所に巡り合うのはなかなか難しい。

それが見つかったかもしれない。

世の中良い時もあれば悪いように思える時もある。

それが今日なのかもしれない。

タイトルは全く関係ない記事であった。

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