あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。
本年スタートのブログです。
人間というのは、日々不安を感じる生き物です。
その不安さから自ら追い込んだりするものです。
チームで何かを成すとき、
例えば引っ張っていくとき、
牽引者が自分で自分を追い込んでしまうこともある。
牽引者は考えまくっている。
ゼロベースの付いていくものはその牽引者についていくことができない。
境地に行き着けない。そんなことはよくあるのではないかと思う。
牽引者が自ら自身を問うて、
高めることは良いことかと思う。
しかし、高めまくった人と、
ゼロベースから始まる人と、
同じ時間をいきなり共有できるはずもない。
時間は共有できても、思いは全く別のところに来てしまうだろうと思う。
自分自身を活動は大事だが、
それ以上にチーム全体の動機づけの過程は大事になる。
そのためには、分かりやすいことばで、
想いを込めた言葉で伝えて、対話していくしかない。
それが人間なのである。
久しぶりに年末の振り返りと、
来年の抱負ではなく、テーマ的なものを書きながら考えたい。
振り返りは今年の漢字としたい。
以前は毎年、年末になると今年の漢字を予想したりしたが、
今年は特に気づいたら「戦」という漢字が発表されていた。
今年の漢字に「戦」とは確かに世相を表しているなと思うが、
あまり当てはめたくない漢字ではないかと思う。
それでも「戦」に決まったのだから、それが今年を代表することであったのだろう。
そして、毎年これだけは賭けている年末の有馬記念も完全に失念していた。
それだけ、今年は特殊だったのかもしれない。
私の今年の漢字はあまりしたくなかったが「忙」としたい。
今年は今までの常識が通じないから色々走り回り、
話す相手がガラリとかわり、また責任もまた変わり、
そして行動は西へ東へ。東京、名古屋、大阪を行き来。
一年間、本当に何もしてない日はなかったけど、
移動ばかりで結局中身はなかった日もあった。
そうです。心を亡くしていたのかもしれません。
年末に自分にとっての大きな出来事があり、
正常さを欠いていたかもしれないからこそ、
本質が見えた、中身のない自分が見えた、現実を知ったとか、
色々わかってきました。
そこで、来年のテーマ、漢字を「意」としたい。
ものごとの意味、
自分の意見、意識、意思、意志。
これを実行するためには、
何か自分の中で軸がないと定まらない。
しかし、一つの軸では物事が一方的に見えてしまう。
あらゆる角度から、観点から見た上で総合的に判断していくのが、
理想的なのだろう。
年末ぐらいは理想を追求しよう。
]]>忙しさに殺されるということなのだろう。
日々忙しい過ごし方をしていると、
気づいた時になにもなくなっている。
そうだ。忙しいという漢字はそもそも心を亡くすと書く。
心を亡くせば、それは殺されるにも等しいのだろう。
今週1週間で感じたことをここに整理したい。
我々はこのようにして、この世の中を憂う。
しかし、この世の中は続いていく。
二つの選択肢があると思う。
一つは、この変わらない世の中に対して、解釈を変える生き方。
二つ目は、自分でこの世の中の主人公になることだ。
私は今、ありがたい立場にいる。
通常であれば前者のように生き方をしている人に囲まれる。
標準的な考え方である。
後者についてはこれは結果論であるが、
今世の中を動かしている人である。
正確に言えばそんな人いないんだけども、
少なくとも前者よりは後者の方が世の中を動かしている。
ここには決定的な違いがある。
それは自身の考えである。
やらされの考え方に気づかずに生きている人がこの世界には多い。
受け身で生きている人間である。
このような人間は、結局は誰かのために生きている人間なのである。
自分でも分かっている人も少なくないかもしれないが、
時にそれが自分の心の中で整理がつかなくなる。
それは優先順位という言葉をどれほど理解しているかにも比例する。
優先順位を自分で決められない人がそうだと思う。
前者の人間は、何か一本筋の通った軸がある。
かっこよく言えば軸。違った言い方をすると柳と言える。
ガツンと固まった人間は柳ではないと思う。
ある程度相手に合わせながら、柳のように柔らかい芯がある。
そんな軸が必要になってくる。
自分にとってのその、芯とか軸って、一体なんなんだ!?
今日は体調不良というわけではないが、
なんとなく先に切り上げてきた。
気分が乗らないからだ。
本当に体調が悪いのかもしれないがそれは置いといて、
自分の気持ちを大切にしていきたいと思った。
集中力が全くなくなった。
ただ手法を相手に決められることはまだまだだと感じる。
ゲームの攻略本がないとクリアできない人生ではないはずだ。
攻略本に従っていると、記憶力や演技力だけに左右される。
大切なのはそれだけか?どう思っている?何が伝えたい。
これからどうして欲しい。その想いはあるであろうか。
業務がどんどん細分化、そしてTODO化され、タスクをこなして行きがちだ。
そんなことは誰にでも、AIでもできるようになる。
お前は一体なんのためにいる?お前の考えが知りたい。
]]>これが習慣化されていない自分に生じた、
ブログを書くという違和感の感覚だ。
気づくと1日が終わる。
そんなことは今日に始まったわけではないが、
ブログを書かずに1日が終わるのが習慣化されているからか、
あのときに毎日毎日ブログを書けていたことが不思議に思う。
どのような手法でリマインドを打っていたのか。
、、、
思い返せばブログを書いていた頃は、今日は何を書こうかと、
日々の日常から感じるようにしていた気がする。
だから、少しでも変わったこと、気づいたことがあれば、
当時のケータイに書き留めておき、
それを夜にPCでブログを書く。
当時はスマホで文章を書くということはできなかったし、
携帯で長文を打つのはしんどかったからブログ執筆は98%はPCだったと思い返す。
自分はもともと、感覚的な人間で、
今の感情がどのように置かれているか、
元々言葉に置き換えることをしない。
だから、今持っている感情を人に伝えられないし、
そもそも伝えようとも思わなかった。
基本的には色々な同情は出来るので、
聞き役として共感する。
そんな一方向のコミュニケーションがメインであった。
しかし、関係性を深めるためには双方向性のコミュニケーションが不可欠で、
そうなれば今の感情を言葉で伝える必要が出てくる。
しかし、言葉が見つからない。
どのように表現してよいのか、
どんな例えがあるのだろうか。
そうなんだ。
俺は言葉にできないだけでなく、
その感情をざっくりとしか認識出来ていないということなのだ。
色々な人との会話は面白い。
ただその精度が低ければ、ざっくりな会話しかできずに、
その人のもっと面白いところを見逃してしまう。
もっと面白いところに行くとどのような景色が見えるのだろうか。
恐らく、目の前の問題は細分化され、
漠然とした不安は詳細に分析され、
行動計画は根拠を持つようになり、
人々が迷わない世の中が待っているのであろう。
]]>2005年から2012年ごろにかけて私は定期的に文章を書いてきた。
それ以前の、文字や口頭でも、アウトプットする事がなかった生活が一変し、
21歳ごろから28歳ごろまで約8年間、私は文章を書き続けた。
そしてまた一変、この2022年現在の直近の10年間はそのカウントに当たらないほど文章しかかいていない。
ここ最近、言葉の重要性に気づくことが多くなってきた。
言葉は力だし、言葉こそが人間だとも思えてきた。
仕事の内容が変わり、大きくそのことに気づかされた自分がいる。
言葉が大事だ。言葉がないと伝わらない。
伝わり方が違う。
言葉が人生の厚みを増し、意味を与える。
特に対話が必要な場合における言葉のやり取りは、
予め用意されていないその場で引き出すことば、
伝えたいニュアンスとは違った言葉になってしまう場合がある。
より慣れていない世界では。
それだけ、伝えたいことが簡単ではないということだと思う。
そんなことを漠然と思いながら、ヒカルの書籍を手に取った。
以前から知っているYouTuberだが、
山口県の送金問題の田口氏のホワイトナイトとして、
今までのYouTuberとは別角度の注目を集めた。
そこからちょっと違った人間だと感じて度々動画を見ていた。
過去動画は祭りの出店の当たりくじが出るまで買い続ける企画など、
誰もが想像はしてもお金がかかってするはずもない。
やろうとしようともしないことをやる。それがヒカルの魅力なんだと思う。
そして書籍発売。
半分ぐらいしか読み進めていないが、
あんなにチャラチャラしてそうなのに、ものすごく言葉を大切にしていた。
そこが今の自分に刺さってきた。
ただ単に喋ればいいわけじゃない。
伝わり方が刺さり方が違う。
そんなことを知っている彼は、努力を続けた。
今の生きている意味合いをもう少し深めていこう。
もう少し、動物的な幸せから、人間的な幸せを知って行きたい。
だから文章を書いていこう。
次は自分に対する動機づけ。
]]>自然界での生きる力について。
世の中にはいろいろな人がいて、
まだまだ自分の都合ばかり押し付けるものも存在する。
ある意味野生的な、原型的な、野蛮な人物だ。
一般的には、人は豊かになり、平和になり、平和ボケになってきて、
やがて免疫力が薄れてきている。
いつまでもベビーベッドに置かれた赤ん坊と同様、
過保護で外的な危険がない環境に慣れてしまうとそれが当たり前になる。
すると野蛮な人物に出会った時の対処法を身につけない状態で立ち向かうと怪我をする。
大抵のところ、野蛮な人物というのは野蛮な人たちに育まれてきているから、
丸腰では立ち向かいようがない。
しかし、いま生きるためにはその技術が必要となる。
技術か、本能か。
この場合はこれが同意語かもしれない。
自分の反応を研ぎ澄ませ、
生きるために戦うのだ。
野蛮な人物が相手なら、こちらも野蛮に戦わなくては殺されるだけ。
いつまでも、赤ん坊でいる必要はない。
世の中、人々の感覚というのはいつまでも相対的だ。
昔は殺し合っていたが、
今も殺し合っている。
命は奪わないが、暴力は振るわないが、
しっかり勝っていかないと負ける。
物理的には死なないか、生物的には死なないが、
人間的には死ぬ。
それが楽しみ、生きがいになる。
それが最後にAIでは出来ない人間らしい生き方であり、
人間しかできない生き方なのだ。
AIでもできる事ばかりしているから、
人間が病み、腐る。
綺麗事ではなく、人間は動物。
戦う事が、イコール生きる事なのだ。
]]>今まで言葉にしてこなかった人間が言葉を使い始めると、
言葉の意味が絶妙に違ってきたり、
意味合いを間違えて使っていることがあるような気がする。
しかし何よりも問題なのが、
喋る内容が出てこないということである。
これについて考えることがあった。
何事も、表現するのに時間が掛かっている性質がある。
メールを一つ打つのにも時間がかかるタチである。
一体なにをしているのだ!?
あっているか、誤植はないか、
そんなことの確認はもちろんしてるんだろうが、
たぶん、カッコつけてんじゃないか。
そう気づいたのである。
自分からアウトプットする言葉を作ってきたのである。
創作するには良いことだと思う。
ただそれ、本当の自分の言葉なのかって言われたら、
だんだん違ってきているんだろうと思う。
それは文書作っているときと、会話している時の自分が違うからだ。
それは性質的なことかもしれない。
喋りができる人と、そうでない人。
感じたことのアウトプットは素直に早めにしたほうがいいと言われたことがあった。
自分で感じたことを、湾曲したり、加工することせずに、素直にアウトプットする。
これは実はいままで出来てなかったことなのかもしれない。
つまりは全てが逆で動いていた。
つまり、綺麗事しか言わなかった人間だったのである。
もし、違和感をもった、疑問に思った、違うと思った、
そのような感覚的なことがあればアウトプットしたい。
しかし、その場その場の変なフィルターを掛けてたのは自分ではないかと最近感じ始めた。
自分は、本当は嫌だった。
自分の感じていることはものすごく幼稚なことである気がしたからだ。
だから、一度、踏みとどまり、加工して発していたきらいがあった。
これを続けると、自分の感覚がにぶくなってくるのがわかってきた。
最近、立場も役割も変わることが多くなった。
綺麗事は必要ないのである。
]]>自分の感じ方と向き合っていると、
分かってきたというか、
繋がってきたことがある。
dependenceである。
依存と言っても色々ある。
放っておいてよいもの、そうでないもの。
依存思考は、思考力を低下させている。
今生きていない。
ようやく繋がったかもしれない。
だいぶ遠回りしてきた気がする。
本当ならば、このような状況に入るまでなかったのではないか。
非常にバランスが悪かったのだと思うし、
振り返ると、だいぶ自分に我慢を強いていたなと。
脱依存しながら、
もうちょっと自然でいい。
1人ではどうにもならないかもしれない。
専門家にも頼ろう。知識を得よう。
]]>ほんの、一部だが。
調べてみると2000年から放送がスタートしている。
2000年と言うと、16歳か。
実家のテレビで見ていた記憶がある。
高校2年、迷っていた時代である。
自分の意見を、十代が、その名の通り、喋る。
1人の主人公がいて、主張する。
それに対して、色々な角度から喋る。
討論とは言えないこともあるかもしれないが、
理想的な討論の姿勢だと思う。
普通なら、意見が出なくて、
番組にならないのでは。
それだけ、自分達が自分の意見を持たずに生きているのだと思う。
それを取り戻したい。
そうか。
自分が取り戻したいと思っているだけではなくて、
みんなが取り戻せばいいのではないか。
Twitterが規制強化したことによる、
イーロンマスクの買収の話とは真逆の話になるが、
そもそもの自分の意見を言う。
これを能動的にやっていく必要がある。
少なくともそう言った社会に。
]]>結構にも程があるほど結構だった。
言葉で説明するのは控える内容であった。
完全なる割愛をする。
案の定、帰りたくなくなり、
東照宮近くの宿を確保する。
翌日はもう一つの目的地であった中禅寺へ。
宿まで30分は歩いた。
昨日は22,000歩を歩いた。
起きたら6時、いつもよりも早い休みの朝。
バスの時刻表には、6時37分発があった。
ちなみにその次は8時代だった。
青春18きっぷを乗り継いで東日本を巡った20歳ごろを思い出しながら、
早めに宿を経った。
中禅寺温泉バス停に着いたのは7時15分。
中禅寺まで徒歩20分ほどなので歩くことにした。
めちゃくちゃ寒かった。
昨日は半袖で過ごした日光。
薄いカーディガン羽織るだけでは間に合わない。
そして20分ほど、中禅寺湖のほとりで佇まいながら時を待った。
そして、中禅寺へ8時一番乗りした。
写経を納め、
十一面千手観世音菩薩を拝み、
不動明王に家内安全を祈った。
境内にある説明を読むと、
もともと、この観音様はここにはなく、
1902年の土砂崩れによる津波により、
元々あった場所からこの地に流れ着いたというのである。
そして元々あった地とは、二荒山神社中宮祠である。
中禅寺から徒歩15分ほどだったので、
また凍えながら歩く。
そして二荒山神社中宮祠で参拝し、
男体山信仰を目の前にする。
そして、神社に来たとなれば御朱印をいただくために、
伊勢神宮で手に入れてからの御朱印帳にお願いする。
お願いしてから、なんかすごく違和感が押し寄せてくる。
ここは、寺ではないよな。
さっきまで中禅寺にいた、
本尊の十一面千手観世音菩薩が元々この地にあった。
来てみると神社であった。
昨日の東照宮も、お寺の要素がふんだんにあり、
混乱しているところだった。
調べてみると、神仏習合の時代、
以前は神社とお寺が分かれてなかった。
だから東照宮の中にある鳥居に蓮の絵が描かれてあったり、
神社の中に寺があったり、
神社といいながら、お寺の作りだったり。
一応、御朱印帳は神社のものに統一していたので、
意識をしていただけに混乱が深まった。
神仏習合を体感したのであった。
]]>実際は一つのことを堂々巡りしているだけだったり。
先日、髪を切っているときに美容師さんと、
小学生の修学旅行の話になった。
愛知の小学生は京都と奈良に行くのが通例。
関西の小学生は広島に行くのが通例。
東京の小学生は日光に行くのが通例だそうだ。
いつか行きたいと思っていたが、
愛知からではなかなか足が伸びなかった。
今なら行けるのでは、
思い立ったが吉日ということで、
じっとしていられず家を出た。
坂東三十三観音用の納経帳と、
コツコツ書いてきた写経2枚。
そして、神社用の御朱印帳。
神社仏閣専用セットである。
遠出になるので万が一、
帰れなくなった時のためにApple Watchの充電器も詰め込んだ。
東武鉄道のリバティけごんに乗って、
ちゃんと座席にコンセントがあることに気づいた。
日光まで2時間半ほどかかることを新ためてその意味を理解した。
iPhoneで色々調べ物をしている間に充電が半分近くになった。
iPhoneの充電器こそ持ってくるべきだったのだ。
閑話休題、
日光を見ずして結構というなかれ。
地名の入ったものすごくパワーのあることばである。
日常の様々なもやもやも断ち切ることができるのか。
いろいろ考えていたらまた日常のことが気になってきた。
たぶん人気持ちのことを気にするから良くないのだろう。
いや、人の気持ちは気にするのはいいが、
人の気持ちだけ気にしてないか。
人の気持ちだけ気にしてたら、
ある人は立つけど、ある人は立たない。絶対にみんなが立つような、
そんな世の中には出来てない。
このことに本当に気づけたら楽なのだけど、
どうしてもブレる。
そこに自分がいないからなのだ。
自分がいたらぶれない。
太くなくていいので、
一本筋の通った柳のように生きたい。
]]>こっちの方ではいなだというらしい。
西日本でははまちである。
刺身と、鰤しゃぶとしていただいた。
そして髪を切った。
美容院というのはホームのような場所だと思う。
定期的にメンテナンスしていく場所。
しかしその場所に巡り合うのはなかなか難しい。
それが見つかったかもしれない。
世の中良い時もあれば悪いように思える時もある。
それが今日なのかもしれない。
タイトルは全く関係ない記事であった。
]]>久しく読んでいなかった過去の記事などを読み返すときがある。
10年前、ちょうど会社を辞めた頃。
その前、最初に入った会社で色々考えていたことが蘇る。
とともに、
当時はめちゃくちゃインプットしていることに気づく。
その分アウトプットしているからなのかは分からないが、
圧倒的にその時の方が等身大の自分がある。
今は、社会に流されている部分がある気がする。
世の中に疑問視していいことがあったとしても、
今はそれを感じない。そんな感じだと思う。
紆余曲折あい過ぎたなと思う。
これからもあるんだろう。
ちょうど息子にこの前話をした。
泣いても笑ってもグラウンド5周しないといけないなら、
気持ちよく走ろうや。
これやな。
]]>慣れてきたといえば慣れてきた。
ただ過ぎたと言えば、ただ過ぎたという感じ。
生活がだいぶ不規則なのもあって、
またオンオフはしっかりしてきているが、
オフのなかのオンみたいなことは結構やっているので、
オフの過ごし方が分からなかったりする。
そして思い返す。
日々、今までどのように1日を過ごしてきたのだろう。
聞かれることがある。
休みの日はどうしているのかと。
私はうまく答えられない。
今までただただ子どもと戯れてきただけだからだ。
今は坂東三十三観音や、浅草演芸ホールに出向いたり
色々新しくしようとはしている。が習慣化しているわけではない。
2週間前に、買い物していると、ふと無性に走り無くなって、
ランニングシューズを現地調達した。
マラソンをやっていたのは確か2007年ぐらいから2010年ぐらいだろうから、
かれこれ12年ぶりということになる。
それまでも走ることはあってもあまり汗をかくほどでもないランニングだった。
久しぶりに走ったのはたった3キロかける2。
でも結構汗をかいた。
十数年前は週3で5km走っていたので全然余裕と思っていたが、
意外にも体にはダメージが来ていたらしい。
それ以降やたらと体の疲れを感じるようになったのだ。
この疲れというのは心地よい方の疲れと表現するのが良いと思う。
そして、いままで慣れずに不眠がちだったのが一変、
一気に寝るのが早くなった。
実は昨日今日はすっとは寝れていない。
週末寝過ぎたためか、これもあまり良くないリズムであるが、
この良い方のリズムを作って整えていきたい。
特にここ数年は、特にアウトプットを我慢してきたと言っていい。
いや、アウトプットはしているのだが、
自分の生の気持ちではない感じである。
正解が分かっていれば、そのアウトプットをしていく。
だから正解がなければ、分からなければアウトプットしようがない。
アウトプットが少なくなってくると、
自分の気持ちに対して感じづらくなっているともいえる。
感覚がないという状態である。
でもそれはいけないのは分かるし、
障壁になってきている。
だからアウトプットのスピードを上げようと試みている。
今辛いのか、悲しいのか、嬉しいのか、憎いのか。
それはどんなふうに。
隠さないようにしよう。
色々な気づきに。
恥じることも時にはあるだろうが。
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