2022年4月アーカイブ

2022年4月24日

[2481] 中禅寺にて神仏習合を知る

日光を見ずして結構と言うなかれ。

結構にも程があるほど結構だった。

言葉で説明するのは控える内容であった。

完全なる割愛をする。

案の定、帰りたくなくなり、

東照宮近くの宿を確保する。

翌日はもう一つの目的地であった中禅寺へ。

宿まで30分は歩いた。

昨日は22,000歩を歩いた。

起きたら6時、いつもよりも早い休みの朝。

バスの時刻表には、6時37分発があった。

ちなみにその次は8時代だった。

青春18きっぷを乗り継いで東日本を巡った20歳ごろを思い出しながら、

早めに宿を経った。

中禅寺温泉バス停に着いたのは7時15分。

中禅寺まで徒歩20分ほどなので歩くことにした。

めちゃくちゃ寒かった。

昨日は半袖で過ごした日光。

薄いカーディガン羽織るだけでは間に合わない。

そして20分ほど、中禅寺湖のほとりで佇まいながら時を待った。

そして、中禅寺へ8時一番乗りした。

写経を納め、

十一面千手観世音菩薩を拝み、

不動明王に家内安全を祈った。

境内にある説明を読むと、

もともと、この観音様はここにはなく、

1902年の土砂崩れによる津波により、

元々あった場所からこの地に流れ着いたというのである。

そして元々あった地とは、二荒山神社中宮祠である。

中禅寺から徒歩15分ほどだったので、

また凍えながら歩く。

そして二荒山神社中宮祠で参拝し、

男体山信仰を目の前にする。

そして、神社に来たとなれば御朱印をいただくために、

伊勢神宮で手に入れてからの御朱印帳にお願いする。

お願いしてから、なんかすごく違和感が押し寄せてくる。

ここは、寺ではないよな。

さっきまで中禅寺にいた、

本尊の十一面千手観世音菩薩が元々この地にあった。

来てみると神社であった。

昨日の東照宮も、お寺の要素がふんだんにあり、

混乱しているところだった。

調べてみると、神仏習合の時代、

以前は神社とお寺が分かれてなかった。

だから東照宮の中にある鳥居に蓮の絵が描かれてあったり、

神社の中に寺があったり、

神社といいながら、お寺の作りだったり。

一応、御朱印帳は神社のものに統一していたので、

意識をしていただけに混乱が深まった。

神仏習合を体感したのであった。

2022年4月23日

[2480] 日光を見ずして結構と言うなかれ

いろいろな考えを巡らせてしまうようで、

実際は一つのことを堂々巡りしているだけだったり。

先日、髪を切っているときに美容師さんと、

小学生の修学旅行の話になった。

愛知の小学生は京都と奈良に行くのが通例。

関西の小学生は広島に行くのが通例。

東京の小学生は日光に行くのが通例だそうだ。

いつか行きたいと思っていたが、

愛知からではなかなか足が伸びなかった。

今なら行けるのでは、

思い立ったが吉日ということで、

じっとしていられず家を出た。

坂東三十三観音用の納経帳と、

コツコツ書いてきた写経2枚。

そして、神社用の御朱印帳。

神社仏閣専用セットである。

遠出になるので万が一、

帰れなくなった時のためにApple Watchの充電器も詰め込んだ。

東武鉄道のリバティけごんに乗って、

ちゃんと座席にコンセントがあることに気づいた。

日光まで2時間半ほどかかることを新ためてその意味を理解した。

iPhoneで色々調べ物をしている間に充電が半分近くになった。

iPhoneの充電器こそ持ってくるべきだったのだ。

閑話休題、

日光を見ずして結構というなかれ。

地名の入ったものすごくパワーのあることばである。

日常の様々なもやもやも断ち切ることができるのか。

いろいろ考えていたらまた日常のことが気になってきた。

たぶん人気持ちのことを気にするから良くないのだろう。

いや、人の気持ちは気にするのはいいが、

人の気持ちだけ気にしてないか。

人の気持ちだけ気にしてたら、

ある人は立つけど、ある人は立たない。絶対にみんなが立つような、

そんな世の中には出来てない。

このことに本当に気づけたら楽なのだけど、

どうしてもブレる。

そこに自分がいないからなのだ。

自分がいたらぶれない。

太くなくていいので、

一本筋の通った柳のように生きたい。

2022年4月21日

[2479] 暖簾に腕押し

久しぶりに魚を捌いた。

こっちの方ではいなだというらしい。

西日本でははまちである。

刺身と、鰤しゃぶとしていただいた。

そして髪を切った。

美容院というのはホームのような場所だと思う。

定期的にメンテナンスしていく場所。

しかしその場所に巡り合うのはなかなか難しい。

それが見つかったかもしれない。

世の中良い時もあれば悪いように思える時もある。

それが今日なのかもしれない。

タイトルは全く関係ない記事であった。

2022年4月20日

[2478] 10年前のインプット

サイバー攻撃に合っていたブログを復活させて、

久しく読んでいなかった過去の記事などを読み返すときがある。

10年前、ちょうど会社を辞めた頃。

その前、最初に入った会社で色々考えていたことが蘇る。

とともに、

当時はめちゃくちゃインプットしていることに気づく。

その分アウトプットしているからなのかは分からないが、

圧倒的にその時の方が等身大の自分がある。

今は、社会に流されている部分がある気がする。

世の中に疑問視していいことがあったとしても、

今はそれを感じない。そんな感じだと思う。

紆余曲折あい過ぎたなと思う。

これからもあるんだろう。

ちょうど息子にこの前話をした。

泣いても笑ってもグラウンド5周しないといけないなら、

気持ちよく走ろうや。

これやな。

2022年4月19日

[2477] 夜の過ごし方

かれこれ単身赴任生活も、5ヶ月。

慣れてきたといえば慣れてきた。

ただ過ぎたと言えば、ただ過ぎたという感じ。

生活がだいぶ不規則なのもあって、

またオンオフはしっかりしてきているが、

オフのなかのオンみたいなことは結構やっているので、

オフの過ごし方が分からなかったりする。

そして思い返す。

日々、今までどのように1日を過ごしてきたのだろう。

聞かれることがある。

休みの日はどうしているのかと。

私はうまく答えられない。

今までただただ子どもと戯れてきただけだからだ。

今は坂東三十三観音や、浅草演芸ホールに出向いたり

色々新しくしようとはしている。が習慣化しているわけではない。

2週間前に、買い物していると、ふと無性に走り無くなって、

ランニングシューズを現地調達した。

マラソンをやっていたのは確か2007年ぐらいから2010年ぐらいだろうから、

かれこれ12年ぶりということになる。

それまでも走ることはあってもあまり汗をかくほどでもないランニングだった。

久しぶりに走ったのはたった3キロかける2。

でも結構汗をかいた。

十数年前は週3で5km走っていたので全然余裕と思っていたが、

意外にも体にはダメージが来ていたらしい。

それ以降やたらと体の疲れを感じるようになったのだ。

この疲れというのは心地よい方の疲れと表現するのが良いと思う。

そして、いままで慣れずに不眠がちだったのが一変、

一気に寝るのが早くなった。

実は昨日今日はすっとは寝れていない。

週末寝過ぎたためか、これもあまり良くないリズムであるが、

この良い方のリズムを作って整えていきたい。


2022年4月17日

[2476] アウトプットを増やしていく

感じたことをアウトプットする早さは以前に比べればだいぶ減ってきた。

特にここ数年は、特にアウトプットを我慢してきたと言っていい。

いや、アウトプットはしているのだが、

自分の生の気持ちではない感じである。

正解が分かっていれば、そのアウトプットをしていく。

だから正解がなければ、分からなければアウトプットしようがない。

アウトプットが少なくなってくると、

自分の気持ちに対して感じづらくなっているともいえる。

感覚がないという状態である。

でもそれはいけないのは分かるし、

障壁になってきている。

だからアウトプットのスピードを上げようと試みている。

今辛いのか、悲しいのか、嬉しいのか、憎いのか。

それはどんなふうに。

隠さないようにしよう。

色々な気づきに。

恥じることも時にはあるだろうが。

2022年4月16日

[2475] Apple Watch

変な時間に目が覚めてしまった。

本当ならば爆睡していないといけない時間帯に起きた。

日の出も早くなった。

そして気づく。

Apple Watchを付けてないではないか。

かれこれApple Watchを購入してから1ヶ月は経っていると思う。

すぐに導入したのがauto sleepeというアプリ。

Apple Watchを装着して眠るだけで、

どのぐらい睡眠をとっているか記録してくれる優れものなアプリなのだ。

たまにApple Watchを充電したまま眠ってしまうことがある。

今日もそうである。

そうするといったい何時から眠りに入ったのか、

全く記憶がなく、そもそもApple Watchをつけずに眠るわけだから、

何の意識があって寝ていないわけで、

何時間寝たかの計算が全く出来ないわけである。

そんな今までにない不安を感じるApple Watchであるが、

購入する前からは想像以上に優れものであることは確かだ。

2022年4月12日

[2474] あの頃はよく考えていた?

睡眠改善をしようと、

1日の最初の睡魔で勢いよく22時頃に寝て、

1時半に目が覚めて今に至る。

最近、単身赴任に入り、

当初はバタバタの中で振り返る余裕が全くなく、

ただただ、1日が過ぎる毎日だったと思う。

起きて、さまざまな刺激を受け続け、1日が終わる。

ようやく、自分の時間を持てる余裕が出来てきたのかも知れない。

昨日は、買い物をしていたら無性に走りたくなって、

本当に久しぶりに、10年ぶりに!?ぐらいに、

3キロ2本、合計6キロ走った。

本当に久しぶりであった。

体と頭、気持ちが整理されていったのが分かった。久しぶりの感覚だった。

あの頃は5km週3走っていた。

たぶんその時の気持ちを思い出したかったのだろうと思う。

走るということは、明らかに、形からして前を向けることに気づいた。

今まで、頭がぱんぱんであったから、それが少しクリアになった。

そして気持ちの余裕も、少し出てきた。

そんな状態で、しばらくサイバー攻撃を受けてクローズしていたマスカゼパッションを復活させた。

復活にはだいぶ労力がいった。

サーバーサイドから、すべてのファイルを削除しなければ凍結解除の許可が出なかったのだ。

だからもうダメ元で、久しぶりのFFFTPでバックアップして、全削除した。

そしてMT再導入して、復活に臨んだ。

簡単な仕様にしておいてよかった。思ったよりも簡単に復活。

そして、以前のブログを久しぶりに読んでみた。

たぶん、当時の方が、いろいろ考えていたのだと思った。

今よりも自分の視点で、等身大に考えていた。

今よりも素直、そして的を得ている気がする。

今の自分を振り返ると、もう少し素直でいて良いのではと思った。

1日の過ごし方もだいぶ変化していた。

当時は考えることが多かった。

今は忙殺されていないか?

もう少し立ち止まってみないか?

そう思った、37歳。

(過去のブログに22歳になることがゾッとするという記事があった、時が過ぎるのも早いもの。15年か。。)

2022年4月10日

[2473] 決めることから避けていた

日々の発言、日々の行動。

人は何を理由に、動いているのだろうか。

ここ最近、まるで誰かの操り人形のように従ってきたのではないのだろうか。

そもそも、違う国に来て、違う人種と出会い、

価値観を相手に合わせてきたのかもしれない。

いや、それは気持ちが分裂していないか?

自分の気持ちはどこへ行ってしまったのか。

ここはどこ、私は誰。

自分が自分を感じられなくなってはいないか。

いろいろなことから避けてきていないか。

振り返ると、今年の自分のテーマは胆力をもって答えなき答えを出すだった。
(ブログには公開していなかった)

答えを出すには、自分が必要なことに今更気づいた。

だからと言って自分ってなんだ。自分がどこにもいない。

誰かを立てれば、誰かが立たない。今まで自分がこの考え方だったのかもしれない。

風が吹けば、その風にそよそよと流れていく。

しっかり太い幹はいらない。柳のようなしなやかでいいから、芯が必要なのにそれがなかった。

でもその芯ってなんなのだろう。

今まで観点が自分のはひとつしかなかった。

正解か、不正解か。それだけしかなかった。

でも世の中は、正解も不正解もないことが多い。

その際にいろいろな観点で考える必要があることに今更気づいた。

まず、物事をきめるとき。どのような選択基準があるのか、そこから考えたい。

一つ見つかったら、他の観点がないか。複数の観点を踏まえたうえで、どの選択基準で選ぶのか。

この経緯を共通認識した上での組織は絶対強いはず。

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