« [2479] 暖簾に腕押し | ホーム | [2481] 中禅寺にて神仏習合を知る »

2022年4月23日

[2480] 日光を見ずして結構と言うなかれ

いろいろな考えを巡らせてしまうようで、

実際は一つのことを堂々巡りしているだけだったり。

先日、髪を切っているときに美容師さんと、

小学生の修学旅行の話になった。

愛知の小学生は京都と奈良に行くのが通例。

関西の小学生は広島に行くのが通例。

東京の小学生は日光に行くのが通例だそうだ。

いつか行きたいと思っていたが、

愛知からではなかなか足が伸びなかった。

今なら行けるのでは、

思い立ったが吉日ということで、

じっとしていられず家を出た。

坂東三十三観音用の納経帳と、

コツコツ書いてきた写経2枚。

そして、神社用の御朱印帳。

神社仏閣専用セットである。

遠出になるので万が一、

帰れなくなった時のためにApple Watchの充電器も詰め込んだ。

東武鉄道のリバティけごんに乗って、

ちゃんと座席にコンセントがあることに気づいた。

日光まで2時間半ほどかかることを新ためてその意味を理解した。

iPhoneで色々調べ物をしている間に充電が半分近くになった。

iPhoneの充電器こそ持ってくるべきだったのだ。

閑話休題、

日光を見ずして結構というなかれ。

地名の入ったものすごくパワーのあることばである。

日常の様々なもやもやも断ち切ることができるのか。

いろいろ考えていたらまた日常のことが気になってきた。

たぶん人気持ちのことを気にするから良くないのだろう。

いや、人の気持ちは気にするのはいいが、

人の気持ちだけ気にしてないか。

人の気持ちだけ気にしてたら、

ある人は立つけど、ある人は立たない。絶対にみんなが立つような、

そんな世の中には出来てない。

このことに本当に気づけたら楽なのだけど、

どうしてもブレる。

そこに自分がいないからなのだ。

自分がいたらぶれない。

太くなくていいので、

一本筋の通った柳のように生きたい。

コメントする

月別 アーカイブ

このブログ記事について

このページは、マス風が2022年4月23日 11:44に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「 [2479] 暖簾に腕押し」です。

次のブログ記事は「[2481] 中禅寺にて神仏習合を知る」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。