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2022年11月 3日

[2487] 言葉の深みが思考の深み

なんか適当なタイトルを付けてから書き始めている気がする。

これが習慣化されていない自分に生じた、

ブログを書くという違和感の感覚だ。

気づくと1日が終わる。

そんなことは今日に始まったわけではないが、

ブログを書かずに1日が終わるのが習慣化されているからか、

あのときに毎日毎日ブログを書けていたことが不思議に思う。

どのような手法でリマインドを打っていたのか。

、、、

思い返せばブログを書いていた頃は、今日は何を書こうかと、

日々の日常から感じるようにしていた気がする。

だから、少しでも変わったこと、気づいたことがあれば、

当時のケータイに書き留めておき、

それを夜にPCでブログを書く。

当時はスマホで文章を書くということはできなかったし、

携帯で長文を打つのはしんどかったからブログ執筆は98%はPCだったと思い返す。

自分はもともと、感覚的な人間で、

今の感情がどのように置かれているか、

元々言葉に置き換えることをしない。

だから、今持っている感情を人に伝えられないし、

そもそも伝えようとも思わなかった。

基本的には色々な同情は出来るので、

聞き役として共感する。

そんな一方向のコミュニケーションがメインであった。

しかし、関係性を深めるためには双方向性のコミュニケーションが不可欠で、

そうなれば今の感情を言葉で伝える必要が出てくる。

しかし、言葉が見つからない。

どのように表現してよいのか、

どんな例えがあるのだろうか。


そうなんだ。

俺は言葉にできないだけでなく、

その感情をざっくりとしか認識出来ていないということなのだ。

色々な人との会話は面白い。

ただその精度が低ければ、ざっくりな会話しかできずに、

その人のもっと面白いところを見逃してしまう。

もっと面白いところに行くとどのような景色が見えるのだろうか。

恐らく、目の前の問題は細分化され、

漠然とした不安は詳細に分析され、

行動計画は根拠を持つようになり、

人々が迷わない世の中が待っているのであろう。

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