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2008年3月13日

だんだん分からなくなってきた

だんだん分からなくなってきた。

今の自分の考え方が、行動が、スタンスが。

分からなってきたというか、合わなくなってきたといったほうがいいかも。

自分の状況も、周りも、周りからの目も、変わったから。

自分のスタンス。

就活時に固めたスタンス。

バイトや就活、インターン、家族…

そんな今まで出会った人から影響を受けて固めたスタンスが、揺らぎ始めている。

今までのスタンスで、このまま歩んでいくのは厳しいと思う。

入社して一年。

時期として、振り返るいい機会なのかも知れない。

ここに来てよく考えて、次へのスタンスを固めたい。

今はそんな時期だろう。


今まで大切にしてきたスタンスは何だったのだろうか。

大きくは3つある。


1つは「ものづくりで死にたい」ということ。

別に過激なことを言いたいわけじゃなくて、自分の生きる道としてこう決めているだけ。

これは今も覆らないし、覆したくない。

自分の尊敬する自分の祖父は、実際に鉄工所でものづくりをしていたけど、その生き方を自分も歩みたいと思っている。

だからといって、ものづくりを「物理的なもの」に限っているわけじゃないし、言い換えれば新たに何かを生み出すことに命を懸けたいわけ。そんなバカ正直で頑固者に、誰がなんといおうとなりたいわけ。


2つ目は「経験は自信となり、実力となる」ということ。

これは就活時代にサーバーエージェントの藤田社長が講演で話してた言葉だ。

何よりも「経験」こそが重要ということだ。

経験がなくて実力を付けるなんてありえない。

まずは経験。暇なら、自分で自分を忙しくしてみる。

これがこの言葉の意味。

言い換えると「量は質に昇華する」といえると思う。

もちろん何も考えずにこれをやると無駄なんだろうけど、一番質を向上させたかったら数を積むことが一番大事。

最初は無駄なことをいっぱいする。それを数多くこなすことによって、自分の本物の実力となると思う。

それが原動力となって、インターンも8ヶ月もしたし、今もどんな分野も吸収したいから、どんな仕事も受ける。しんどくても受ける。そんなスタンスだった。

おそらく、この考え方は変えたほうがいいのかなと思う。この言葉が悪いわけじゃないので、捉え方を変えたほうがいいということ。

この言葉の「経験」とは何をさすか。これを見直してみる必要がある。


3つ目は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」ということ。

リクルートの前の社訓となっていた言葉。2つ目の言葉とかぶってるかもしれないけど、これこそが成長に繋がると思う。

そして、成長する過程を一言で言い表した言葉だと思う。

これも、この言葉の「機会」とは何をさすか。これを考え直してみないといけないと思う。

3つの自分のスタンスを振り返ってみて、1つ気づいたことがある。

まずは、「経験」や「機会」の捉え方が甘かったということ。

まあ最初は分からないのでしょうがない。「経験」や「機会」の種類なんて考えもしなかった。

たぶんそれはその「経験」や「機会」すらなかった過去があるからだと思う。

その時期に認識した「経験」や「機会」というのは、今としては当てはまらなくなっている。

それを再認識する必要がある。

たぶん最初は「作業」というか、何か「形に残るもの」にこだわっていたんだと思う。

それこそが、「経験」として把握しやすいし、「機会」としても分かりやすい。やっている感もあるし。

極端な例を挙げれば、何かの資料を作る必要があって、それを頑張って作って安心するパターン。

本当の目的は相手に内容を伝えることなのに、その「資料」に注いでしまうパターンだ。

結果として、それが相手に伝わる資料になっていたとしても、その「相手に伝える目的としての行動」としてやっていたことが必ずしも合っていないことになる。その場合、その「経験」や「機会」というのは、完全に「実力」へと昇華されずに、得るものが少ない。

おそらくこれが今の状況なんだと思う。

たぶんこのままいくと、一定のレベルで実力の向上はなくなり、評価としては必然的に下がっていくだろう。そうなるとおもんなくなりだす。これが一番怖い。

この状況で、「自分はめっちゃやってんで!」と言えるとしたら今だけで、やがてこんな意地を張ってもしょうがないレベルになる。

そうなると、「作業効率悪いで」といわれて終了になる。つまりどんなに頑張ってやっても報われない時期がくる。


それって何が原因なのっていうと、「どんな分野も吸収したいから、どんな仕事も受ける」というスタンスであって、下手をするとこれでは自分の仕事は「誰かの下請け」になってしまう。これでは負けだと思う。と最近気づいた。

自分の会社の方針として、下請けはしないというのがあるが、これを自分がしててどうすんねん。そりゃ社会に色々な役割があって、それがどんなチームにも存在するけど、あえて、喜んで、受ける必要は一切ない。それはみんなが平等にやったらいいわけ。それに、今の状態になれて、それが当たり前となるのは怖い。

つまり、自分のやるべき仕事以外で、仕事レベルとして「時間をかければ出来ること」を、自分の「経験」とか、何かを得るための「機会」と認識するのは間違っている。得るものは「実力」ではなく、頼みやすい人という認識だけ。それがプラスかマイナスかは「自分の幸せ観」次第だけど、それが今は変化してきたんだとおもう。

これはえらそうなことをいってるわけじゃなくて、一年目は一年目として、二年目は二年目としての仕事の直契約の方法があるということ。そういう意味で、もっと仕事にプライドを持ったほうがいい。そして、俺の仕事は単価高いよっていえるぐらいがちょうどいいんだろう。


仕事って、「楽しい」かもしれないけど「楽」ではない。しかも、楽しめるレベルに達するまでには「苦労」が確実に伴う。そりゃそうだろうと思ってる。だから甘えてぶーぶー言いたいわけじゃない。でも、自分がどれだけやって、それがどのように認識されるのかは、今後のモチベーションに繋がる。そのモチベーションは、自分だけでなく、周りのモチベーションにも影響してくる。その悪影響になるのが一番いかんのだろうなと思う。


この一年で色々なことを感じるけど、このスタンスをどうあるべきかはずっと考える必要があるんだとうと思う。その時々に応じて。

ただ見えてきたことは、社会人ってくくりはカテゴライズされているようでされてなくて、いろんな人がいるってこと。当たり前だけど、それが認識レベルで分かってきた。
もちろんだけど、自分と同じスタンスではないわけで、それぞれのスタンスをもっている。それは当たり前なんだけど、スタンスによって損をする形はなくしたい。そういう意味で、下請けして「仕事してますよ」みたいな自負も持ちたくないわけ。

とりあえず言いたいことは、今までのスタンスは現実的ではなくなってきたということ。
それは1年目として自分の中で一番のスタンスであって、これからは変えていくべき。そう思ったことだ。

コメント(4)

ご無沙汰です。

確かに、機会と経験って一体何かは
一考の価値ありですね。

読んでいて単純に「経験」ってそれは確かに重要ですが、
それ自体に意味がないもの(結果として、必要だったものという人間の認識は好きですが)もあるのだと
僕は思っています。
何かやる前に、「経験」をしたいというと、
指摘のとおり「経験」したことで満足して、
そこで確かに終わりそうですね。

機会は、例えばやりたいことのきっかけとかかも
しれません。
創るとは、結局、主体的、能動的に、決して
「受け」ではなくて、行動していくことで、
何か次のアクションが生まれてくること、
そうだと考えています。

2の経験が自信になるのは最もなのですが、
自信がついたら、それは自分がしたいこと、
たとえば1の軸とか、3のスタイルで
やるだけの話で、あとはぐるぐる回っていく
感じがします。良い連鎖が。

何でも仕事をするのは、経験という意味では、
「分からない」からやってみよう、であって、
確かに分かってくる(それをどこで決めるかも
自分ですけどね)と、それでは、物理的な時間も
自分のコストも、一筋縄ではいかなくなるんでしょうね。

ステージが変わり、次という形でしょうか。
ふんばってくだされ。

>hirohiroさん

ご無沙汰しております。マスカゼです。
ほんと久しぶりですね。お元気でしょうか。
コメントありがとうございます。朝感ももうすぐリスナー200人ですね。

そうですね。最近はいい意味で、振り返る機会になっています。

1年前は気づけないことに、気づけるようになってきました。

もちろん、今までが間違ってたとは全然思わないんですよね。
今までがあって初めてこういうことに気づいたわけなので。

それだけ自分の中で1年間、自分が思う正しい道を全力で歩めたのはプラスだったなと思います。

次のステージ。その通りなのかもしれません。この期間を貴重に考えたいと思います。ステージが移り変わる瞬間として。


最近、就活時代のときのように、振り返る時間がありませんでしたが、その時間がない環境を超えるほどのエネルギーがあったのだと思います。

それだけ、もしかしたら今まで、自分で決めたスタンスを信じていたんだと思います。

だから何かがどこかにたまってた。でもそれでも信じて信じて。それで今がある。

しばらく疑問期が続いて、トンネルを抜けると、再び自分の信じれる道が見えるのかもしれない。

だけど、トンネルを抜けてしまうのもおかしいなとも思う。

今回は大きなステージの移り変わりだけど、常に疑問を持っていかないとなと思っています。

同じことのように思えても、違った角度で考える2年目を歩んでいきたいと思います。

たぶん1年目より、失敗が多いと思います。上に立つことも少ないけどあって、それが経験なくて、いっぱい失敗する。

それでも、精一杯堂々とやりたいと思います。

久々に、ブログで熱い記事を書きましたが、常にこれくらいの葛藤があってもいいと思います。

じゃないと、それこそ成長なんてありえないですもんね。

いろいろと書いてしまいましたが、とにかく全力で生きていきます。

どうもです。

色々あるじゃないですか。
嬉しいことも悲しいことも。
でも、僕の原点みたいなものって、
やっぱ1度の人生だから思いっきりってのがあるんですね。多分、ですが。

そうなると、正しいとか間違っているとかって、
大事だけど、小さいことに見えてきます。
別に小さいことではないんですけどね。

マスカゼさんがどう感じるかは分からないですが、
僕は「もっと色々やっていきたい」と感じ、
色々って何だろう、どうしたら満足できるようになる?
もっと楽しめる?何かできないかって充足感は満たされる?って
考えていく傾向にあります。

ふんばっていきませふー。

コメントありがとうございます。

たぶん「こと」自体は何も罪がなくて、僕のここでいう気づきは「受け止め方」だったと思います。

なので「こと」で仕事を選ぶということは、これからもしたくないなと思います。私もじゃんじゃんいろんなことやっていきたいです。

でもその質がやっぱりあると思います。それなら、どんな「こと」でも、自分の「受け止め方」次第で、下請けにもなるし、直契約にもなると思うんですよね。

例えは良くないかもしれませんが、自分を利益体質にしたいなと思います。利益体質の個人が多いほど、企業も強いと思います。逆に考えると、今の自分のような考え方の人がたくさんいたら、会社としてもよくないと思うんですよね。

自分に必要であれば、無駄なこともしますし、しょうがないときもあると思いますが、それが普通の体質になってしまったらかなりマイナスではないかと思うのです。

少々回りくどいですが、モチベーションだけは下げずに、取り組んでいきたいですね。

ふんばっていきましょう!!(お、久々の感覚です。笑)

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このページは、マス風が2008年3月13日 02:46に書いたブログ記事です。

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