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2007年5月30日

人間と宗教と哲学

人間の最高の発明は「金(硬貨)」によって作られた価値保存システムだと聞いたことがあるが、「宗教」もまた死後の世界の確立システムとして最高の発明のひとつだろうと思う。(これはもちろん、これから書くことも、僕が考える宗教の考え方なので、一般的には間違ったものや反対意見もあると思うが、それは個人のブログということでご了承いただきたい。その上でのご指摘は歓迎)

宗教は人間が生きる上での目的を教える。
それだけじゃなく、死後の世界まで解く。

人間というものはどうしても死を恐れ、それが不安の種となるが、宗教なら信仰によってその不安を取り除くことが出来るのだ。

たとえば代表的なお経のひとつの般若心経では、色即是空・空即是色と言っている。これは(僕なりに理解している考え方では)、形あるものはいつかは無くなってしまうから、即ち形が無いものと同じことである(色即是空)、そして形が無いからといって実態がないというわけではなく、自分が思うことによって実体が無くても形があるものと変わらない存在になる(空即是色)、ということを意味していると考えているが、これはいわば死も生も同じといっていると受け止めることが出来ると思う。即ち、死んだからといっても人が思うことによって生きていることと変わらないということなのだ。

その影響を受けた僕が考える宗教の要素のひとつには、死も生も特別に何か変わるものではなく、ただ生は物質として現世に存在していることを教えることという考え方が入っている。だからかしらないが、たまに思うのは、自分の体は与えられた(いわばレンタルされた)入れ物のような存在で、その中に自分の気持ちが存在しているように思う。この入れ物は貴重だし、せっかく与えられたものだからどうにかして生かしたいとも思うのである。

当たり前だが宗教は科学とはかけ離れている。
僕は科学では証明されるはずもない考え方が、宗教には存在すると思っている。
だから宗教を考える上でロジカルな考え方は必要ない。エモーショナルな視点が必要だ。
つまり宗教というものは正しい正しくないという視点ではなく、正しいと思うのか正しいと思わないのかという視点が大事なのだ。

日本人は無宗教といわれるが、無宗教ほどつらいものはない。ある意味その分自由(行動も、思考も)なのだが、その分不安でもあると思うのだ。

ちなみに僕の宗教は半分が仏教で、半分が企業家哲学だと思う。最近になってお経も覚えようとしている。仏教をそう簡単に理解できるものではなさそうだが、般若心経で教えてくれる素晴らしさをちょっとでも感じているつもりだ。

そして企業家哲学。
これはある意味僕の宗教だ。特に「こう」といったものがあるわけではないが、僕が好きな稲盛和夫氏の「人間として正しい道をいく」という考え方は好きだ。どんな選択を迫られたときでも「人間としての正しさ」が、企業家としては企業の成長、個人としては個人の幸せにもつながるという考え方だ。企業家として極めたひとは人生の考え方も核心的なところをつく。

そして大事なのは、その宗教にしても哲学にしても、その考え方を自分の中で消化して、自分のものにしないと意味が無いということである。自分が大切だと感じて初めて日々の生活に影響してくる。そのために僕はまだまだ修行が必要なようであるが。

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