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2007年1月17日

1.17 2007

この前明石や加古川へ行ったときに神戸ももちろん通ることになるんですが、気づくと「長田区」という表示があって「ああ、ここが一番ひどかった場所なんだな」と思っていたのを思い出します。

あたりは立ったばかりのビルばかりで、まさに神戸っぽいようなきれいなものだったんですが、そのいきさつには12年前の出来事があるわけですね。

今テレビでやっていたのですが、長田区だけは震災前の80パーセントしか人口が戻っていないようで、12年たってもまだまだ簡単には物事は解消しないようです。

昨日は大阪と神戸で大規模な訓練とかをやったようで、全国では始めてとか言ってましたが、毎年進化しながら欲しいものです。ニュースによると、まだまだ現実的ではない対策があるようですので、進化が必要です。

戦争でもそうですが、そんな稀な出来事を本当の意味で理解しようとするならば、僕は経験するしか術はないものと思っています。つまり僕も本当の意味でこの出来事を理解していないわけですが、これは致し方ないことです。本当に大切なことは、その伝え方として、人間という存在そのものの意味を前提として教えるべきです。それは本当に身近なことのはずです。理由の無い大切なものを教えるべきです。

あいにくなことに、人間というものは危機を知って初めてその大切さを知る動物です。しかし、それはしょうがないことです。だから大切なものに理由を付けようと思ってもそれは無理です。経験したものにしか分からない理由なのです。だから経験していないものからすれば理由は無きものになると思います。けど大切にすべきものがあるはずなんです。屁理屈はやめて、素直にその事について考えてみたいものです。

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