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2006年9月17日

斉藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人びと』

斉藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人びと』岩波新書,2004年

ちょっと前に読んだ本だけど、せっかくいろいろな思いがあるので、ここに記してみようと思う。

さて、この本の内容であるが、巻末のほうに載っていることの解釈(小泉総理やブッシュ大統領の言葉を取り上げて、その単純ぶりを解説している)はなんとなく、木を見て森を見ず的な、なんというか一部だけで判断しすぎているようにも思われたが、明らかに筆者の言いたいことが伝わる表現もしていて少々ショックを覚えた。いっくら何でも発言が浅すぎるだろ、と。

まあ、このお二人の話はおいといて、この本の趣旨、携帯電話や自動改札機、監視カメラ、ユビキタスによって、人々は権力に支配されていくという構図は、正直少々戸惑った。しかし、分からないでもない、そして想像できないわけでもない、完全に管理された社会の姿があった。

分かりやすい例でたとえるなら、これ(舵取り機能のついた三輪車)、である。これは子供からすれば自分で漕いでいるように思われるが、実は親がその操作を管理している(できる)。子供からしてみれば安全なのかもしれないが、自由という言葉はここにはない。他の例でいうとGPS携帯。子供に持たせることで親は子供の居場所をいつでも知ることができる。しかし子供は・・・。これらの親子の問題ならいいのだけれども、管理された社会というのは困る。これらとよく似た現象が大きな単位で起ころうとしているわけだ。私たちは国という大きな親に管理される子供となる。そうなれば、気づいたときには、身動きが取れない状態になっているだろう。

表現の自由が約束されたこの日本で、そんなことが可能になるわけないとも思うのだが、愛国心や改憲論議(著者によれば、あるべき生き方を示す表現をいれるように見えるという)ではないが、その気持ちの面で、社会全体からタブー視されれば、それを考えること自体を辞めようとするだろう。少なくとも、国旗や国家を規制しているようでは、肖像画を教室に張るように義務付けられているどっかの国と変わらないわけで、これらの予兆と思ってもいいのかも知れない。

しかもこれが、私たちは知らず知らずのうちに、こういった流れを助長しているというから面白い。誰かとつながるための携帯電話、犯人を見張るための監視カメラ。そして、先行する心の教育など。このような安心と引き換えに、だ。

安倍さんが総理になれば確実に改憲されるような流れになるだろう。だからといって徴兵制とかにはさすがに急には変わらないんだろうけども(本では強く警告している)、なかなか怖いものがある。

まだ『美しい国へ』を読みきってはいないのでしっかりと言い切れないが、はやりこの問題は慎重に見るべきだろう。先ほどのエントリー「集団的自衛権」ではないが、よく分からん概念が多すぎるのもあって、意思の疎通がとりにくい。戦争したいなんて誰も思ってないのは分かってる。ただ、いざとなったときに出来ちゃうから怖いんだ。戦争するときなんかいつでも正常な判断なんか出来ない。アメリカ国民だって9.11が無ければブッシュ支持をしていない。分かりやすくいえば、精神状態が不安定で、犯罪を犯しても刑を受けること免除される、責任能力の無い犯罪者のようなものだ。だからしょうがない、と言いたいが、戦争の場合は、責任能力が無いと言っていることなんか出来ない。既にその見本が60年前にあるんじゃないの。自分の国の憲法ぐらい自分たちでつくろうよという気持ちはよく分かるし、賛成だけど、もしそれだけだったらいらねーんじゃねーの。と、思ってしまう。

まあただ、安倍さんの本に代表されるように、この国がどのような国になるべきかという、流れは必要だと思う。右傾化といいながら、国自体に深く関心を持っている人が少ないように思うからだ。そして、それが無ければ国民投票なんか意味ないし、このまま行ったら郵政選挙の時みたい浅はかな話でに鮮やかに終わってしまう。

なんだが今後は、政治の流れがどうなるかというよりは、国民の流れがどうなるかが、興味が出てきそうだ。

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