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2006年5月 4日

東海道本線の車窓から

私たちは知っているはずのあの風景を知らない。
多分、ちょっと前に私が生まれていたのなら見ているはずの風景があるはずだ。

現在で時間はかなり貴重といわれる。時間はお金で変えないし、時間があればなんだって出来そうな気がする。だから今の人は、時間をお金で買っているのだ。

思い出されるのは、10年ぐらい前のこと。友達家族が毎回夏に行くという御殿場へ、私の家族もお供したのだ。お供する、といっても現地で落ち合うことにしていたため、実家の愛知から静岡の御殿場まで家族だけでの移動を余儀なくされた。
そこで使った手段は、鈍行列車であった。その手段を選んだ理由は忘れてしまったが、長く単調としたつまらないもの、そしてあまりクーラーの効かない古い車両の中でぐったりしていた記憶がある。しかしそんな想い出がその旅での一番の思い出となった。

また、別の記憶がある。
これは、4年前のこと。今もなお付き合いが深いある昔の友人と共に卒業旅行という形で大阪と京都に行った。もちろんお金がない、どのように旅行しようか迷った。しかもそのたびは、本当は富士山に登る予定だったが、台風接近により、急遽大阪と京都旅行に変更された。そのため、急にプランを決めなければいけなくなったのだ。助けられたのはある切符であった。
JRの青春18切符は有名であるが、その切符は1万円以上した。しかもそれは5日分ということで、予定していた3泊2日では使い切れなくてかえって損だということが分かった。その代わりに見つけたのが「3・3・SUNフリーきっぷ」という名鉄・近鉄・南海の電車が3日間乗り放題というものだった。値段も5000円でリーズナブルだった。
フリー切符なので、名張や榊原温泉口とかいう普段降りるところではないところで降りた。そして色々な風景を見ることが出来た。

昔のひとはこのように楽しんだのだろう。全てが計画通りにカツカツに組み込まれたたびではなくて、流れるままに。昔、御殿場にいったときは若すぎて分からなかったが、後者は随分楽しんだことを思い出す。実際には降りたところで何もなかったなんて駅もあったが、まあそれはそれでいいではないか。

私が実家に帰るのは、何回目になるかは忘れたが、もう3年も京都に住んでいるので、おそらく6回ほどは帰っているのだろうと思う。もうその移動の風景にもそろそろ飽きてしまった。新幹線はどうもその乗り物自体に興味を示してしまうし、あっという間にその移動は終わってしまう。バスはゆっくりと進むが、意外にもその風景は、高速道路の壁に苛まれ見づらいものだ。

私は、明日から実家に帰る。今回はちょっと変わったものにしたいと思う。

JRの途中下車制度を利用して(実際できるのか心配だが)、色々なところに行ってみようと思う。

バックに一杯の本を詰め込んで、さあ出発。

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