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2005年11月22日

essence

いつから今の人は、こんなにも夢を人に語るようになったのだろうか。
ブログがはやる理由もここにあると思う。

僕は、以前あまり口数が多いほうではなかった。もちろん今もそうかも。
ただ何も考えていないのではないし、特定の友達とは時間が有る限り語り合ってきた。日が暮れるというか、夜が明ける感じで。

そんな中、彼は、僕のことを「珍しい」という。
この珍しさは、どんな種類のものを指すかというと、僕は相対的にやる気があるらしい。
どうやら向上心だけは抜群というわけだ。

しかしそんな僕の向上心は、僕を良くも悪くもしていった。
それは、どんな目的でそんな言動をしているのか自分自身分からなかったからなのだろう。

言動そのものよりも深い意味が眠っていた。
それが、自分自身の根本的な性質の一つなのだろうと最近気付いた。


以前行ったインターンで社員の方がこんなことを言っていた。かなりラフな場面である。
「このような私、あのような私、そのような私。色々な私がいるが、それは作っているわけではなく、全て私だ。」

僕は、これから社会に出て行く上で、この一言でものすごく安心することが出来た。その全てに共通するものが根本にあるからだ。


ある居酒屋では、朝の朝礼で大声で自分の夢を語るそうだ。

もちろん一人ひとり、恥ずかしさも何も無い。当たり前に。
壁にはそれぞれのこれまた社員の夢が直筆で色紙にかいて飾ってある。

この店が結構売れているそうだ。


そんなニュースを聞いてコメンテーターはこう言うのである。
「夢というものは、自分の一番深いところに有るものなのではないのだろうか。」

夢を他人にわかってもらい、意識されることで安心して進むことが出来るのだろうか。随分わがままになってしまったものである。一見そう思ってしまう。


その「夢」に、どれだけ自分のしっかりした軸を伴っているのかじっくりと考えなければならない。というか気付かなければならないだろう。

自分にとって一番深いものとは何だろう。
自分は何を求めてそのような行動をしているのだろう。

考え方を越えた性質がそこにはある。

コメント(2)

良いエントリですね。思わずコメントを。

ふと思ったことを。
相対的にやる気がないと思われる人について、
僕は知ろうと思わないので、やはりその人については分からないですね。

と、なると、やはりやる気があるとか、相対的でもなんでもそうですけど、分からないなあと思いました。

良い仕事見つけてくだされ。

思わずコメントしてくれてありがとうございます!
嬉しいです。

やる気がないように見えるってことは根本的に相手に何も求めていないのかもしれませんよね。
自分自身を見た時、やる気っていうのは、なんとなく精神論的な言葉でそれを自分の中で明確にしていかなくてわなぁと思っています。

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このページは、マス風が2005年11月22日 01:12に書いたブログ記事です。

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