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2010年4月24日
生活奏庫の傷跡
ドメインのことを考えていていろいろ調べていたら、
過去にどんな使われ方をしていたのかを調べられるという恐ろしいサイトと出会った。
ネットの情報をどんどんアーカイブしてしまうサイト
http://web.archive.org/
そして、そういえば高校時代に始めてとったドメインのことを思い出して検索してみると、
ひっかかった。ほんと恐ろしい。
2002年12月18日12:23:57 の http://www.so-honke.com/
http://web.archive.org/web/20021218122357/http://www.so-honke.com/
高校時代は着メロ・壁紙サイトを運営していて、その発展(衰退)がこのサイトだった。
今確認できるこのサイトは着メロも壁紙も辞めて、ただのランキングサイトになってしまっている。
http://web.archive.org/web/20021219041250/www.so-honke.com/seikatu-souko.html
そのコンテンツの中に少しだけ残されているのが、昔のコンテンツの紹介ページ。
「傷跡」と表現しているのは、たぶんもうほとんど原型が無いからなんだと思う。悔しさを感じらる。
もうちょっと探してみると、独自ドメインに移行する前のサイトを見つけた。まだ壁紙が残っていて、全盛期の雰囲気に近い。がアクセス数は全然ない。プレビュー1万人/日はコンスタントに来ていたので全然である。
http://web.archive.org/web/20020816053934/www.gogp.co.jp/souko/cgi-bin/cgi-main/index.cgi
余談であるが、着メロサービスを展開していた頃にライバルサイトだったのが、「J-SKY研究所」である。生活奏庫と同様に投稿型着メロサイトを展開しており、J-SKYでは一番の大きさだったと思う。(自分の中では生活奏奏は2番である) 今では「J研」という名前で着メロサービスを今でもサービスを続けている。しかし、J研はどこかのタイミングでドリコムに買収されてしまったようだ。
http://j-ken.com/
実際には、生活奏庫はJ-SKY研究所を目指しているような感じだったので、ライバルというよりかは先駆者として尊敬する対象だった。一度、代表の方とはメールも交わしたことがある。
こんな話を、それから約10年たった去年、会社にJ研の着メロ職人が入社してきたときに話した覚えがある。この世界で生きていた人がいたかと驚いた。
私がもし、社会的な着メロ著作権問題の時に、真っ向から対応していたらまた別の道もあったのかもしれない。
今考えても危なっかしい話なので、サイトを閉鎖して地道にベースを積んできて良かったということにしよう。
話は戻るが、それから今でも残っていると分かった生活奏庫のトップページhttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tsuyogariのリンクを参考に探したらやっぱりあった。
http://web.archive.org/web/20041212222935/http://www.mskz.com/
完全に忘れていたけど、ここでも独自ドメインを取っていたらしい。
ここで最後のつよがりで、携帯サイトのあるべきすがたを語っている。
http://web.archive.org/web/20041213080815/www.mskz.com/mskz.html
しかし、その理念は実行されずに、ますかぜは過去を捨て、大学に進学していってしまうのである。
今、その理念を見返すと、今でも変わらないサイト製作の価値観があるなと感じる。
たぶん、私のサイト製作の原点がそこにあったんだと思う。
そして、自分が歩んできた道を振り返ると、戦略の失敗がかなり見える。
それを分析して、今後に役立てようと思う。
webarchiveはなんでも残ってますよね。
会社のHPの開設したての姿とかメルマガの第1~45号とか読みました。
私がJ研に投稿を始めた頃は既に「株式会社ジェイケン」という独立した法人になっていて、買収されたのは確か2年ぐらい前だったと思います。
業態は今でも全然変わっていませんが、法人化したときにゲームとかのJASRACに管理されていない曲が全部削除されて、現在も掲載不可のままです。
生活奏庫や升風を拝見して、昔のJ-PHONEでしか聞けない形式の着メロファイルがあって懐古しちゃいました。
今ではサイトが乱立して、当時のようなプレビュー1万人/日とか有名人ブログでも難しいですね。。。
>Barnirun
>webarchiveはなんでも残ってますよね。
さすがですね、知っていましたか!!
メルマガがすらっとしか見てないですが、
当初の方が味が出ていそうな気がしなくもないです。
>業態は今でも全然変わっていませんが、法人化したときにゲームとかのJASRACに管理されていない曲が全部削除されて、現在も掲載不可のままです。
そうなんですね。残念な限りです。確かゲーム系はかなりありましよね。
>生活奏庫や升風を拝見して、昔のJ-PHONEでしか聞けない形式の着メロファイルがあって懐古しちゃいました。
smdとかsmzですよね。今でもファイルが残っていることにびっくりしました。
久しぶりに専用ソフトを落として聞いていましたが、3和音4和音なんて今考えたら終わってますよね。
でも16和音になると、ゲーム系であれば全然いけるかもです。
スーファミレベルのゲーム音しかないので当たり前かもですが。
>今ではサイトが乱立して、当時のようなプレビュー1万人/日とか有名人ブログでも難しいですね。。。
そうなんですかねぇ。
確かに当時はパイが少ないので、特に携帯サイトは、割とアクセス数は伸ばせたかもしれないです。
しかも当時は情報があまり無いですから、ほとんどが口コミでサイト情報が流れていきましたからね。
思い出しましたが、当時、チェーンメールを作って、HPに流す実験をしたことがあったんですが、一日に100件は軽くいきましたね。私は友人数人しか送ってないのみも関わらずです。いい時代でした。
過去を振り返って、これからのサイトはどう作るべきかを考えています。
http://www.geocities.jp/barnirun/mobile/
サイト、味出てますね。
やっぱりシンプルが一番かも!?