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2007年1月13日

「感受性」マス風

大人になったからといって海の大きさなど到底実感できない。
それは、子供のころに漠然と抱いていた「だだっ広い」という感想が一番正しいということである。

だが、自分がよく行った漁港の場合はそうではない。
当時はとても高く思えた堤防も、その上に立つ灯台も、今はしっかりと自分の中で認識できる。大体が経験した大きさとして捉らえられている。

だが、それで何が変わったというのか。何を得たというのか。

今ではまったく釣りに行かなくなってしまった。
しかし、今でもこの堤防から竿を振り投げていたあの日のことを思い出す。
堤防の上で針とハリスを結び仕掛けを作る。そしてその針にゴカイを付ける。
そして、全力で振り投げるのだ。
その後はさおを適度に動かしながらリールを巻いていく。
海の底の数センチに常に針を浮かすかの様に、微妙な竿使いが必要になる。
ハゼやキスやコチといった魚の気持ちになって、そのように餌を動かせばいいかを一生懸命考えたのだ。

潮のにおいと、適度な海風に囲まれて。
波の高さと太陽の位置を確認しながら。

もしかしたら、物事を正確に認識することよりも、ありのままに感じることのほうが重要なのかも知れない。何もカテゴライズすることなく。

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このページは、マス風が2007年1月13日 12:43に書いたブログ記事です。

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