【日常描写】子どもに「なぜ勉強しないといけないのか?」と聞かれたら

おはようございます。マス風です。

最近早朝のラジオを聞くことが多いです。

下ネタ祭りの深夜のラジオも好きですが、

早朝のいかにも頭がクリアになるラジオも好きです。

聞く層が、どうしても年配になるので、

話題はどうしても固くなります。


今日の話題は「教育」についてでした。

今に始まったことではありませんが、

今の学校教育現場は荒れているそうです。

昔の不良は悪いことを認識していながらやっていたけど、

今は認識すらせずにやっていたり、平気で嘘を付いたりするそうです。

そんな話題と合わせて「なぜ勉強しないといけないのか?」と生徒が聞いて、

先生も上手く答えられないそうです。


私はこんな質問をしたことがないので、自分の子供もしないものと思っていますが、

もしかしたらされるかもしれません。

というか、されるされないに関わらず自分の中の教育観として考えておかないといけない問いです。

私なら「楽しく生きるためや」と答えるのかもしれませんが、

子どもにとっては遊んでいるほうが楽しいですからよくわからないでしょうね。

そこであるリスナーからの意見がありました。

「なぜ勉強しないといけないのか知るために勉強をする。

なぜ勉強しないといけないのか知るには、勉強しない段階では判断できない」

というまっとうな理由がありました。

これはまさしくその通りです。

なぜ勉強しないといけないのか分からない低レベルな質問は、勉強しないと分かりません。

なぜ勉強しないといけないのか分かっているけど、出来ないというところで初めて具体的なサポートが始まるのかなと思います。


ちなみに、自分の母親は大学に行くのといかないのとでは全く世界が違う五月蝿くと言っていた記憶があります。

ちなみに父親からは一言も教育について関与されませんでした。

そのため、完全に母親からの影響一本で、教育を受けました。


幼少のころの教育を振り返ってみると、一時期週8で習い事も行っていました。正確にいうと行かされていました。

勉強だけでなくもちろんスポーツも含めてですが。

しかしここまで習い事をすると、自分が勉強しなくても「出来る子」になってしまいます。

小学校の頃はその最たるもので、何もしなくても4教科中2教科1位、1教科2位という発表をされた記憶があります。

塾でレベルの違う勉強をやっているから当たり前です。

詰め込み教育と言えるのかわかりませんが、受身でしか学んでいないと、自分で勉強するという自主性は養われませんでした。

余裕ぶっこいているうちに中学高校で一気に差が開いた体験があります。


私はこの経験から「自主性」が一番大事だと思っています。

自主性を持って勉強している人ほど、勉強できていますし、仕事できています。当たり前の話ですが。

では自主性を養うにはどうすればいいかという話です。

今の段階ではおもちゃを多く与えないことや(確か久保田メソードでは3つまでだったかな?)、

受動的なコンテンツは出来るだけ少なくなるようにしていますが、

これから本格的に考えていくことになるのでしょう。


親の教育観が周りに振り回されていて途中ブレることは悪影響だと思うので、ある程度方向性を固めておきたいところです。

周りの子が塾に行かせ始めたから自分の子も行かせるなんていう選択はしたくはありません。

というか私が詰め込みだった経験からか、行きたいと言い出すまで習い事はさせたくない。親の影響って怖いものですね。

子どもがしたいと行ってきても契約書を子どもと交わして、違反したらすぐにやめさすぐらい徹底的にしたいものです。笑

一旦やる気になれば、やってみせ、いって聞かせて、させてみてで徹底サポートですね。


周りからの影響もあるので、環境づくりは大事なのかもしれませんね。

そういう意味で親というのは一番の環境なので、親が前向きに勉強し続けていればいいのだと思います。結局それしかないのかもしれません。

子供の自主性を養うために、まず親が自主的になる。


今回は朝のラジオをきっかけに教育について考えてみました。