【自己対話】自分のやりたいこと

2月。

日付を見ると、会社を去ってから5ヶ月が過ぎていた。

気づくと迷子になりそうなので、
この辺で自分自身の原点に帰ろうと思う。

これから生きていく上で、はずせない点。

退職した意味。

自分は何がしたいのかということ。

自分の生きる目的のようなものを、いろいろ、思い返したい。


個人的に他者の感覚に非常に影響を受けやすいたちだ。

気づくと、いろいろな感覚を受け入れてしまう。

対照的な意見があって、それが二つ同時に成り立たないのを知っているのに、

受け入れようとしてしまう。そんな自分に逼迫する。

そんな感覚なのは自分がコーチングを学んでいたときに、

自分の感覚として嫌というほど感じていた。

いいところしか見ないという点である。非常に筋の通らない欲張りなのである。


しかし、こういうスタンスは自分を苦しめる。

両方成り立つことはないことをいっぺんに実現しようとするからだ。


そこで、自分はどんなことに優先順位を置いて、または置かないのかを

しっかり持っておかなくてはいけない。


そもそも、私が退職した意味、これから生きていく上ではずせない点で、

大きなのが、自分自身のワークライフバランスである。

この言葉を使うとちょっと「ライフを重視したい」と捉えられ勝ちで嫌だが、

ライフとワークのマネジメントを自分で行えるようにしたいということである。


そして何がしたいのかというと、

ちょっと前の自分であるなら、自分の感覚を伝えていきたいというところだったが、

今は、表現していきたいというところが大きいような気がする。

つまり、自分は伝わることよりも、表現することに価値を置いているかもしれない。


ここが全然ビジネス的ではないところが飯を食べていく上ではネックなのだが、

ここに気づくことができたのは大きいかもしれない。


飯を食べるのは手段であるが、目的ではないので、

それを誤ると、自分のしたい活動がすべてぶれるということなのだ。

変な欲が絡むとどうしても目的意識が違う方向にいってしまう。


だからといって山にこもった仙人にならなくてはいけないというのも違う。

山にこもらなくても町で仙人のようになれると思う。

別に仙人じゃなくていいんだけど、町で暮らす仙人もいたらいいなと思う。


自分の感覚で価値を追求できればいいと思う。

その価値が追求できたときに、結果的に、初めて人から認められるような気がする。

世間から初めて自分が認められたときもそうだった。

これが、自分の得意分野なのである。


完全に自分はモノ指向であるから、

どれだけ自分が表現できる手法を身につけられるかも重要である。


私が退職したときに家族に話したのは、

「これからしばらく芸人みたいな生活になると思う」ということだった。

芸人はバイト生活、いろんな社会経験を経て、自分の芸に磨きをかける。

前の会社が松竹の近くにあったけど、毎日のように野外で稽古を重ねていた。

認められるのはわずかだが、夢に向かってがんばっている姿。それが輝いて見えた。


もちろん、家族がそれを認めてくれたので、今私がこうやってバイトを掛け持ちして日々暮らすことができている。

しかし、最近そんなスタンスを忘れて、すぐに本業に利益が出ないといって焦っていた。

私がしたいことは、すぐに利益を出すことではなかったのに。


おかげさまで、会社員時代には確保できなかった一日あたり5時間は修行の時間に当てられる環境にある。

価値を認めてもらってないうちからお金はいただかなくていいし、そもそもいただけない。

存分に修行しよう。


修行する上で、テンプレ的な仕事は絶対しないと決意したい。

自分の感覚が入っていないものづくりは絶対にしない。