[ショートショート] スーツのズボンのポケットの穴

穴の存在に気付いたのはいつの日だっただろうか。

その頃は穴とは気付かないぐらいの小さいものだった。

それが、今や大きな穴になった。

入れられるものは全て、足の隙間から床に滑り落ちて行った。

穴の存在を忘れかけた今日の午後10時。

当たり前のように入れられた携帯電話も床に滑り落ちていった。

その時、この穴の存在を忘れてはいけないと強く思った。

そうだ、私にはぽっかりと大きな穴があいていたのだ。

穴の存在を忘れて、私は無理をしすぎたのだ。

携帯電話。そんな一般的なものすら、私には受け入れることが出来ないのだ。

頑張るとかそういう問題ではないのだ。

午前0時の環状線。

向かいの乗客が、平成生まれだと騒ぎ出した。

やかましい。

私の穴を、これ以上広めないでくれ。

もしかしたら、この穴を塞いでくれるのは、今は到底受け止められないと思っているものなのかもしれない。

でも、それが私にはまだ到底わからない。

それでも、勇気を出して踏み出そうか。

この、到底埋められそうにない、ぽっかりと空いてしまった穴を埋める手段を、手探りで探そうか。

それが出来なければ、新しいポケットを手に入れるまでだ。

しばらくは、この穴とうまく付き合ってゆく。

そんな気持ちになれたらいいのだが、難しいときもある。

特に、今まで大丈夫だったものが受け止められなかった時、限界を感じるんだ。

人間らしい生活の限界を。